日本で唯一の不登校・ひきこもりの専門紙「不登校新聞『Fonte』」。編集長の石井志昂さんへのインタビュー後編です。
どのように不登校新聞に関わったのか、また現在の活動についてなどを伺いました。
聞き手/勝山実(ひきこもり名人)&伊藤書佳(編集者)


(…前編より続く)

ひきこもり期間

―家にこもっていた時期は?

石井 家にこもっていた時期は、数週間単位でしかないですね。それこそまさにアルバイトを始めようとか、そういう時期。フリースクールのなかでもいろいろな子がいて、アルバイトや高校の勉強とかを始めた子が天下をとったように自慢するんですよ。

バイトして14800円を得たことで大金を手にしたような気持ちになって、「おれ株で当てたよ」ぐらいの感じでアピールしてくる。そういう話を聞くと焦ってしょうがなくて、気持ちがどうしようもなくなっちゃうので、ひきこもる。たとえばサッカーチームをつくるゲームが出たとなれば、体重が30キロ台に迫るほどゲームをしたり、要するに飲まず食わずでゲームです。「サカつく」ダイエットですね。やっぱり気持ちを整理する時間が必要ですから。

不登校新聞への入社

―不登校新聞社へはどうやって入社したんですか?

石井 1998年の創刊号で、ぼくはインタビューを受けるんです。16歳のときです。当時、ぼくが東京シューレでたいへんお世話になっていたスタッフの山下耕平さんが不登校新聞初代編集長を務めることになった。それで彼から取材を受けたんです。そのとき、山下さんから、不登校新聞で子どもが取材する編集部をつくるから入らないかと言われたのがきっかけです。

―いまの子ども若者編集部ですか?

石井 そのとおりです。で、いわば第1期生としてそこにかかわっていく。そのつながりのなかで「ここに勤めたいな」という気持ちになっていったんです。
新聞社で働くようになってからいまに至るまで、ずっと子ども若者編集部にかかわり続けています。

―その16歳の頃に石井志昂さんの人生は濃縮されているんですね。運命の出会いなわけでしょう、不登校新聞が。10代の頃から記事を書いたりしてたんですね

石井 いや、当時は記事をつくっているつもりだったんですけど、かなりサポートしてもらいながらやっていたんだといまは思います。ただ、取材というものに出会ったのはすごくうれしかった。人の話をたくさん聞くというのは、ほんとうに楽しいなと思って続けてきました。

19歳からずっと不登校新聞にいる

―本格的に編集部員になったのはいつですか?

石井 本格的にというと30歳ぐらいからなんじゃないか、それまではただ飯食わせてもらってたんじゃないかという気がしてきますけれど、週5常勤スタッフとして働きはじめたのは、19歳のときです。

―19歳からいままで、ずっと不登校新聞なんですか。

石井 そうです。一筋です。今年で14年になります。

―すごいですね…。

石井 気づけば、そうです。

―そこまでどっぷり浸かっているとは……

石井 世間の方たちからは、「あなたはもう大丈夫でしょう。キャリアがあるから生きていける」と言われるんですけど、子ども若者編集部の人たちに、不登校新聞に14年いると言うと、みんな、「えーっ」と、絶句するんです。そりゃそうだと思いますよ。不登校新聞で14年いたんじゃ、もうつぶしきかないじゃん。おれのほうが助けてほしいよ。どうやって人生やり直せばいいんだ。そんな話をしています。

不登校新聞の意義とこれから

石井編集長背中
―不登校新聞はどうして必要だったのか? なぜ求められていたのか? この新聞の意義とはどういうところにあるのでしょうか?

石井 当事者目線でしかなしえない報道、発信できない情報というのもあるんだと私は思うんです。少なくとも、ほっとした、救われたと言ってくれるような人がいるわけで、こういうところには意義があるのではないか。

―当事者目線の情報というのはどういうものでしょうか?

石井 ほかでは得られないと言われたのが、生の声ですね。たとえば、子どもが不登校をしたときに親がどう感じていたのか、子ども自身はどう感じていたのか。最近の掲載した記事で、「不登校している子を体育祭に誘っていいかどうか」という親からの声があったんですけど、そんなの当事者目線からすれば「やめてくれ」って話なんですよ。

でも、親からすれば「そうそう、私もそれ気になっていた。あんなに楽しかった体育祭、誘わなくていいのかしら」という反応がくる。そんな小さな親子の齟齬については、大きな新聞には書けない。ヤフー知恵袋などいろんなネット情報もありますけれど、「不登校新聞」は、いつも肉声の本音が載っているんだと、大上段にいえばそういったブランドがなければ伝えられないことがいっぱいあると思っています。

もう一つ、昨年大手紙へ向けて、「9月1日に子どもの自殺が多い」という報道をたくさんしてもらうように不登校新聞で呼びかけました。その結果、各紙で報道されて、問題が広く知られるようになったんです。私たちはもう何年も前から、新学期が始まる日に多くの子どもが命を絶っている事実に注目して報道してきました。専門紙であるからこそわかっていることがあるんです。

わかっている事実を大手紙の人たちに伝えて、動いてもらう。そういうことが、じつは小さいミニコミでもできるんです。大手紙の人たちは、ほんとうにたくさん発信力がありますが、何年かに1回記者が変わってしまうので、問題意識が継続されていかない。当事者たちがつかんだ事実、学んだことというのを、どこかが媒体となって訴えていく必要があると思っています。

それでは最後に

―不登校新聞のこれからについてお聞かせください。

石井 生き残りです。私は、いま33歳ですが、不登校をした14歳のときに30歳まで生きていると思っていなかったし、もちろん老後なんてものがあるとも思ってなかった。野垂れ死にするだろうと思っていた。「不登校新聞」に19歳で入ったとき、4月入社で6月には「来年はもうない」と言われたんです。

休刊危機というのは何年も前から何度も何度も出ていた話で、「不登校新聞」が生きていけると思ってなかった。ぼくも生きていけると思ってなかった。ぼくの友人も「不登校してるから生き残っていけないんじゃないか」と言っていた。いま、みんなの願望は生存なんです。生存がゴール。長生きがゴールです。長寿社会って言ってるけど、おれたちそれになろうよ。高齢化しようぜ。ただただ、高齢化しよう。無条件の高齢化を目指していきたいと思います。

―いいですね。では最後にひき☆スタに先輩メディアとしてアドバイスをお願いします。

石井 アドバイスは、ありません。同じように地を這いずりまわって、泥にまみれて、いっしょに高齢化を目指して生きていきましょう。

「ひき☆スタ」不登校新聞石井編集長を撮ってみた from NPO SCMN on Vimeo.



【石井志昂】
不登校新聞編集長。中学2年生で不登校になり、東京シューレに入学。17歳から不登校新聞社子ども若者編集部に参加、19歳からスタッフとなりその後編集長に。
石井志昂Twitter:https://twitter.com/shikouishii
不登校新聞:http://www.futoko.org/

【伊藤書佳】
編集者。NPO法人全国不登校新聞社理事。不登校・ひきこもりを当事者と語る「いけふくろうの会」世話人。
伊藤書佳Twitter:https://twitter.com/fumika_itou
いけふくろうブログ:http://ikefukurou.blogspot.jp/

【勝山実】
著述業、ひきこもり名人。1971年横浜生まれ。好きな言葉は「学歴不問」。2001年「ひきこもりカレンダー」を出版。07年「ひきこもりカレンダー」絶版。かつちゃんは倒れたままなのか。否、かつちゃんは立ち上がった。「安心ひきこもりライフ」(太田出版)発売中。
勝山実Twitter:https://twitter.com/hikilife
ブログ「鳴かず、飛ばず、働かず」:http://hikilife.com/

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