ひきこもり当事者自らが発信するメディアが数多く生まれている中、個人で発信を続けている人もいます。今回は、そういった当事者の方に取材し、ひきこもったきっかけ等の情報を発信することについて伺いました。

取材に協力してくれたのは、20代女性のペンネーム・裕澄さん。小学生から中学生にかけていじめられ不登校になった経験を、私小説として表現しインターネットで公開しています。

裕澄さんは元々、爆笑問題の太田光さんや、NON STYLEさんに憧れてお笑い芸人を目指していました。現在は表現の場を書くことに絞りつつも、お笑いのことは大好きとのこと。
不登校経験をどのように表現へ転化させているのか、step(神奈川県内の自助グループ)世話人の近藤健さんがインタビュー。前編では、不登校になった経緯と、一時期プロを目指していたという「お笑い」への思いをお話しいただきました。

ゆうすみさんのイラスト

<裕澄(ゆうすみ)さんプロフィール>
神奈川県在住。約5年の不登校経験を経てアルバイトをしながら2014年よりWebサイト 「小説家になろう」にて小説を投稿開始。 小説以外にもボランティア活動など様々な活動を行っている。 特撮ヒーローやゲームも好きな多趣味だが、 本気で芸人を目指した程のお笑い好き。
「小説家になろう」裕澄さんのページはこちら。
https://mypage.syosetu.com/437004/

いじめを受けた女性のイメージ画像

いじめが原因で不登校に

(近藤)まず、裕澄さんが不登校になった経緯について教えてください。

ゆうすみさん

いじめがきっかけで、小学校5年生から中学校3年生にかけて不登校でした。

(近藤)なるほど。いじめの内容はどのようなものだったのですか?

ゆうすみさん

小学校5年生のとき、私は男の子のグループと仲が良くていつも遊んでいました。しかし、ある日バスケットボールの面白さに目覚め、時間があれば一人でフリースローばかりするようになりました。そうしたら、遊んでいた男の子たちから仲間はずれにされたんです。彼らの行動はクラス全体へと広まっていき、それが他のクラスにも伝染していきました。担任の先生に相談し、私と男の子たちとの話し合いの場を設けてくれましたが、先生から「あいつらが納得する形に収めてくれないか?」と言われました。そのときは、ただただ泣いていたばかりで……。その後もいじめは止まるどころかエスカレートし「菌」や「汚いもの」と扱われ、学校に行かなくなりました。

教育支援センター(適応指導教室)に通い中学卒業へ

(近藤)裕澄さんの不登校について、ご家族はどのような対応をされましたか。

ゆうすみさん

父には、他の学校に移るか提案されました。しかし、仲の良い子もいるし、中学校に入ったら半数は私立中に行くからなんとかなるだろう、と思っていたので我慢していました。でも、地元の中学に進学したら、残った半数の子たちが私のことをまた悪いように広めてしまって。不登校は続き、教室で勉強したのは3年間で1、2ヵ月くらいだったと思います。

母も不登校に対して理解はありましたが、「死にたい」と口に出していた時期に「死にたいなら人に迷惑をかけず死になさい」と言われました。でも、死のうとしたらどうやったって人に迷惑はかかるから、表現を変えて「消えたい」と言うようにしました(笑)

(近藤)ぼくは、もし親に「人に迷惑をかけずに」と言われたら「生きるのも死ぬのもどんづまっちゃうよ」と思っちゃうかもしれないですね。
ほとんど学校に行けなかった間、勉強はどうしていましたか?

ゆうすみさん

※教育支援センター(適応指導教室)に通って出席日数をもらっていました。いつ登校してもいいし、私服で来てもいい。なんなら、勉強もしなくていいという自由な場でした。登校を1時間ずらせばクラスメートと遭遇することがないので、とても気楽でしたね。
教育支援センターには私と同じようにほとんど学校に行っていない子や、リストカットを経験しているような子もたくさんいました。ここには、自分と同じような子がたくさんいるんだと思うと、学校よりも居心地がいいな、って感じましたね。そして、卒業を迎えました。

(近藤)裕澄さんをいじめていた人たちについてどう思っていましたか?

ゆうすみさん

許せないところもあったけど、物理的にも時間的にも離れてみると、恨み続けるのも疲れるんですね。私はそのころお笑いが好きで、そっちにパワーを注ぐようになりました。

お笑い芸人のイメージ画像

目指すはお笑い芸人と小説家?

(近藤)お笑い芸人でシンパシーを感じる人はいますか?

ゆうすみさん

爆笑問題の太田光さんですね。テレビでは怒鳴ったりワーワー言ったりしているけど、彼の反骨精神のようなものに共感していたのだと思います。
私は、いつかお笑いで有名になったら「笑っていいとも」で太田さんと共演するのが夢でした。そして、同窓会の連絡が来たら「収録があるから行けないわ」って断ってみたかったですね(笑)

中学を卒業するころになると芸人になりたいという気持ちが強くなりました。
通信制の高校に通うことになり、自分が知らない土地だったので不安でした。しかし、芸人を目指すくらいなら、心機一転、一人きりでもスタートできるだろう、と開き直るようになりました。

そんな19歳のある日、アルバイトの帰りに、ふと中学校の先生のところへ顔を出そうかな、と思いました。これまでだったらそんな気持ちにはならなかったのですが、そのときはいじめの記憶が残る中学校へ行くことができたんです。もしかしたら、私も過去を振り返ることができたのかもしれない、と思い始めました。

(近藤)それが、ウェブサイト※「小説家になろう」で自分の作品を発表するきっかけになったんですね。

ゆうすみさん

はい。お笑い以外に好きなことと言えば、昔から書いていた小説だったんです。

(近藤)なぜ、発表の場として「小説家になろう」を選んだのですか?

ゆうすみさん

作品数が1番多く、書籍化、アニメ化されている作品も多数あったからです。万が一ですが、そういった業界に行けたらいいな、という思いもありましたし、無料で投稿できるところで、創作から発表まで完結させたい、というのもありました。


後編では、過去の体験を小説にして表現しようとしたきっかけや、今後書いてみたいテーマについて伺います。
インタビュー後編はこちら

※教育支援センター(適応指導教室)とは
教育委員会が設置・運営する不登校児童生徒の学校復帰に向けた指導・支援を行う場所です。詳細は、お住まいの市町村の教育委員会にお問い合わせください。

※「小説家になろう」は、オンライン小説、携帯小説を掲載している小説投稿サイト。

近藤健が大船観音を背景に観音様と同じポーズをとっている写真

<取材者プロフィール>
近藤 健(こんどう・けん)step世話人 家庭教師
2004年に学生生活を終えた後ぼんやりと、しかし平和に過ごしていたら7年が経過。2011年にハローワークの相談員に空白期間を叱責された事をキッカケに、自分を責めだし外出や日常生活を送る事が難しくなる。
その時、「ひきこもり」という単語を知り、ひきこもりの当事者・経験者による親睦と交流のための神奈川県内のサークル・stepに参加。当時の世話人の後を継ぎ現世話人となる。
step参加と併行して、よこはま若者サポートステーションの利用を開始。
その他にも様々な場所に足を運び、若年から高齢までの多様なひきこもりや新卒既卒ニート、また普通に(?)働いている人々と語らいながら自分がどんな日々を送りたいかのイメージを持つようになった。
今も家庭教師をしつつ人々の姿から学ぶ日々を送っている。
step(ステップ)https://step-kanayoko.web.app/index.html
メール stepkanayoko@yahoo.co.jp

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