日本を代表する演出家であり、KAAT神奈川芸術劇場(神奈川県横浜市中区山下町281)の芸術監督も務めていらっしゃる宮本亜門さん。テレビやCMでご存知の方も多いかもしれませんが、実はひきこもり経験者でもあります。

高校時代のひきこもり経験を著書「ALIVE」(2001年、NHK出版)をはじめ、各所でオープンに語っています。(「ALIVE -僕が生きる意味を見つけるまで-読んでみた。」

ひき☆スタでは、「きれい事で終わらないインタビューを」といったサイト利用者の思いを携え、宮本さんの本音を引き出そうとお話を聞いてきました。

前回は「働くということ」についてのインタビュー。「社会や仕事で必死になるために生まれたわけじゃない」という思いからひきこもった宮本さんですが、現在は「仕事だから我慢しなきゃ」という考えではなく、常に自分がワクワクできるようなことを考えながら働いている、というお話をしていただきました。今回はシリーズ第3弾です!


3.-宮本亜門が語る「家族のつながり」-

宮本亜門さんがひきこもったのは高校生の時。両親に「部屋から出てきなさい」と言われても出ることができず、時間が経つにつれて声をかけられることも少なくなりました。

しかし、ひきこもって1年近く経とうとしていたある日、息子の様子に我慢できなくなった父親が、怒って酒を飲み暴れだして、日本刀を持って宮本さんを追いかける事件が起こります。この事件を機に母親との話し合いが始まり、「学校に行かなくていい。その代わり、精神科を受診してほしい」と嘆願されます。 宮本さんはこの「学校に行かなくていい」という言葉で気持ちが楽になり、さらに精神科の先生が自分の話を肯定してくれたことで救われ、学校にも再び通えるようになったそうです。 インタビュー第3弾では、そうした宮本さん自身の体験を踏まえつつ、ひきこもり当事者と家族の関係についてお話していただきました!


◆第三者と話せたことが良かった

――ひきこもり当事者にとって、親との問題も大きな悩みとなっています。ひきこもりが長くなると親も年をとっていき、お互いに「これからどうすればいいだろう」と思ってしまう。そのことがさらにギクシャクした関係を作ってしまうようです。

宮本さんの場合には、ひきこもっていた時にお父さまが日本刀を持って暴れた事件があって……。


はい。当時、ぼくは部屋の鍵を閉め、外に出ずに一年近くひきこもっていました。だから、あの事件がなかったらそのまま部屋から出なかったかもしれないですね。もちろん、みんな日本刀を持った方が良い、ってわけじゃないですが(笑)。

部屋から出るきっかけって、自分からは作りづらいですからね。自分でも悩んでいるからひきこもったわけで、「出てきなさい」と言われてすぐに「はい」とは応じられない。自分自身の気持ちが解決していないのだから、そう簡単には言えないのです。だから、何か心を揺さぶるようなことが起きて、ぼくは救われたのだと思います。

――特に親の方が「認めてあげなきゃ」「受け入れてあげなきゃ」と思いすぎてしまい、子どもにぶつかることができなくなっていると思うのですが。

そうでしょうね、よく分かります。ぼくの場合もそうでした。お互いどう話していいか分からなくなり、変にあたりさわりなく振る舞ったりしていました。親子って、なかなか向き合ってぶつかれないですよ。それに、ひきこもりが長くなると、親も子どもにどう声をかけていいか分からない過敏な状態になりますから。

そんなこともあって、ぼくの場合、結果的には精神科へ行ったことが助けとなりました。
日本刀事件が起こった後に、深夜の誰もいない公園で、母が「お前、もう学校に行かなくていいよ」とぼくに言ったのです。それを聞いた瞬間、ぼくの心に刺さっていた杭が抜けたように気持ちが解放されたのを覚えています。「学校に行かないという選択肢が、すぐ側にあったのだ」と。それに初めて気づいて、気持ちが楽になったのでしょう。

それまでは、「学校は行かなければならない」という選択肢しかないと思い悩んでいたのです。そうしなければ社会のつまはじきだし、本当の自分を押し殺さなければ社会には溶け込めないもの、と思っていた。またそれがどうしてもできない自分を否定していましたからね。とてもつらかったですよ。だけど母の言葉で「無理して社会の一員にならなくてもいい」と、いう選択もあるのだと知り、小さな空気穴ができたように楽になったのです。

ただ、母は学校に行かなくていい代わりに精神科へ行くよう嘆願しました。そして翌日、ぼくは母に従い精神科へ行ったのですが、そこの先生がとてもおおらかでひょうきんな方で、ぼくの言うことを何一つ否定せずに聞いてくれた。それでぼくはさらに解放されたんです。

もちろん、精神科の先生は第三者だったから話しやすかった、という点も良かったと思います。家族というのは、お互いの性格をほとんど分かっているから、こういう状況で、なかなか腹を割って話すのが難しいでしょ。

親に何か言われたとしても、どう意図的に言っているか、どう気を遣って言っているのかが、先読みできてしまうんです。「あっ、一生懸命、ひきこもりに関する本を読んできたんだな」とか「親も心の中ではドキドキしているんだな」とか、空気が読めちゃう。だから、こちらも普通の対応ができなくなる。こっちも、かえって気を遣ったり、また本心がわかるものだから、イライラしたり、穏やかな気持ちで冷静に話そうとしても、どうも無理が出る。だから、お互いを良く知っている家族間での話というのは、状況が悪くなると、意外とコミュニケーションが難しいんです。

だから、そういう時には、第三者が大きな力を発揮することもあります。第三者は、元々距離があるところにいる人です。だからこそ、親には言えないことも話せたりする。ぼくを見てくれた先生は、「でも」とか「違う」とか否定的な言葉は一切使わず、ぼくが言うことをおおらかに楽しんで聞いてくれました。「変わっている」「変だ」と思っていた自分の考えを「そんな考えもあるんだ、面白い!」と心から興味を持って聞いてくれた。そのお陰でぼくは楽になりました。もし精神科へ行くようなことがなかったら、親はあのままぼくを説得できずに、怖がって「どうしたらいいんだ」って家族みんなが悩み続ける状態になったと思います。それに、ひきこもりが長引けば長引くほど、「こんな息子を持って」と父も思っていたかもしれません。

<85年頃、ロンドンに様子を見に来た父と>



◆愛を持って、諦めないこと。それだけでいい。

――親子がお互いを理解しすぎているがゆえに、理解できない難しさがあるのですね。

お互いに知りすぎているがゆえに、どんなに勇気を持って声をかけても、本心からの言葉が出にくかったり、また相手の言葉もなかなか聞けないものです。距離が近すぎるからますますこんがらがっちゃって、客観的に自分たちを見られない状態になってしまうんです。

たとえば役者の場合、自分の演技を一生懸命していても「本当に自分がやりたい演技が分からなくなる」こともしばしば。そういう時は演出家が客観的に見てアドバイスをすると、役者の気持ちが楽になって生き生きとすることがあります。

でも、これを家族の中でやるのは、なかなか難しいのかもしれません。それぞれの状況にもよりますが、「第三者の人に話すことで、楽になることもある、それはちっとも恥ずかしいことではない」ということだけは知っておいてほしいと思います。それはお互いが幸せになるための、一つの手段なのですから。

――お互いに痛んでいる……

そう、お互いに逃げ場がなくなっているから。「親が解決してください」とか「子どにしっかりしてほしい」とは言えないです、というか言っても何の解決にもならない。ただもっとも大切な親の愛情だけは、どんなことがあっても、子どもに注ぎ続けてあげてほしいと思います。その愛情も強制の愛情ではなく、温かく見守る愛情です。

――「愛情を注ぎ続ける」とは、どういったことでしょう?

ただただ、諦めないこと。相手に見返りも、成果も、何も、期待しない。ただ、諦めずに愛情を注ぐ。たとえ何があっても、何をしようとも、世界でたった一人の自分の子どもとして愛し続けるのです。変に愛情を表現しなきゃとか、そういうのではなくて。

――では、親子で分かり合うということについては、どのようにお考えですか?

それは非常に難しいと思っています。だいたい、それが他人であれ、血がつながった家族であれ「分かり合う」なんてすぐにはできないものです。親子といったって、やっぱり元は、違う人間なのですから。環境も時代も違うなかを、お互い生きてきたわけで、それを全部分かり合おうなんて、むしろ早急すぎて、身勝手であまりに自分中心な気がします。

もし、相手を分かりたいのなら、想像力を働かせて相手側に立つように努力したり、常に常に愛情を注いだりするだけで十分なのではないでしょうか。全部分かってあげようなんてせず、ただ愛情を注ぐことを諦めない、そう、諦めないことが大事なんです。

――宮本さんご自身の親子関係はいかがでしょうか?

ぼくは父のことを好きではありませんでした。だけど、母が死んだ時、父は母の死に顔の頬に手を当てたかと思うと、今まで見たことがないくらい優しいキスをしたのです。それは、どんなハリウッド映画にもないくらいの、感謝に満ちた美しいキスでした。それを見たぼくは、父がどれほど心の底で母を愛していたかを感じ取り、父がとても愛おしくなってしまったのです。

それからぼくは、父を、父親というよりも、不器用だが精一杯生きてきた、素晴らしい一人の人間として見るようになり、気持ちがすごく楽になりました。今では、すっかり大親友ですよ。親父はまるでぼくの息子みたいな存在になっていて、とても可愛い。仲がよくて手をつないで歩いています(笑)。もちろんいさかいが起こることも少しはありますが、一人の人間として見ると、すぐ、また仲良しに戻れるんです。

つまり、「親子」という関係に縛られるから、親子関係が難しくなることがあるんだと思うんです。お互い違う人間だし、年の差だって何の関係もないはず。「親なんだから親らしく」とか「年上だからしっかりして」とか文句を言っても、別に「標準的な親」があるわけでもないし、そんなことで怒っても意味がないことです。また、年のことでは「若いから人間ができてない」と言うのもおかしいですね。子どもの時って、大人よりも哲学的なことを色々考えていたりもするし。ひきこもりの人だって、年齢が違っていても、それぞれが、たくさん、たくさん考えていますしね。

<NY留学時代(24~25歳)>



◆「家族」だって、それぞれ違う人間

――極端な話、「親子が仲良くしなきゃいけない」というわけではないのですね。

ぼくはそう思います。自分が家族の中であまりにもタイプが違ってさすがにきついと思ったら、違う形で家族を作ったっていいんです。友達同士だってファミリーになれる。

ぼくは沖縄に住まわせてもらっているのですが、ぼくにとってのホームは今、沖縄です。沖縄の友だちはぼくのファミリーだと勝手に思っている。「大和人(ヤマトンチュ)ですみません」という後ろめたさはまだとれませんが……(笑)。

だから、自分のふるさとを自分で作っていいし、自分の家族も自分で作っていいんです。ただ、今の家族との間で何かやり残したことがあると思うのなら、自分が後悔しないように、できるだけやっておいた方がいい。それで、やるだけやってダメだったら、ダメでいいんです。「やらない後悔よりもやる後悔」ですよね。

ぼくの友だちに、どうしても親とうまくいかない人がいました。ぼくはその人に「縁を切ったっていいじゃない。その前に、インタビュアーという他人になったつもりで親と話してみたら?」と提案したんです。「ぼくが生まれた時どう思った?」とか、そういう質問をしていくスタイルで。そのインタビューの間は「怒ったり揉めたりしない」っていう決まりだけ作って(笑)。

それで友達は、親ととことん話してみたら、お互いにとても良い関係になって、特に本人の気持ちが楽になったと喜んでました。初めて親が本心から言葉を出してくれて、親の方も楽になったようです。

といって、そうして親子関係が良くなったからといって、無理に元の家族に戻る必要もありません。お互いに心の内を色々と話したことで、ぼくの友だちは「どうやら両親は早く離婚した方が良い」ということが分かったのですから(笑)。それで離婚を進めて別居したら、2人ともすごく幸せに暮らせるようになったんです。何ごとも無理をしないのが、一番ですね。

「一つにまとまらなきゃいけない」ということは全てにおいて無いのだと思います。「家族」という結び付きにとらわれると、逆に苦しくなることもあるし、お互いに違う人間ですから、それぞれが求める幸せのかたちも違っていいのではないでしょうか。

(今回の取材は、ひきこもり経験者を含むスタッフ4名で行いました)


宮本亜門
(みやもと・あもん)


演出家

1958年生まれ、東京都出身。 1987年演出家デビュー作「アイ・ガット・マーマン」で文化庁芸術祭賞を受賞。2004年NYブロードウェイで東洋人初の演出家として手がけた「太平洋序曲」が、トニー賞4部門にノミネートされる。

2011年KAATのこけら落としとして、三島由紀夫原作の「金閣寺」を舞台化し、NYリンカーン・センター・フェスティバルに招へいされた。2013年は5月ミュージカル「スウィーニー・トッド」、オペラ「TEA」(バンクーバー)、8月彫刻家イサムノグチを題材とした舞台「イサム」、移動型ミュージカル「ピノキオ」、初めて手がける歌舞伎「はなさかじいさん」の演出。9月にはオペラ演出では初となる欧州進出で、オペラ「魔笛」をオーストリア・リンツの新歌劇場で上演するなど、国際的な活動も目白押し。

近著に「引きだす力〜奉仕型リーダーが才能を伸ばす」(NHK出版)。
12年「メガネベストドレッサー賞」(文化人部門)受賞。
2010年4月よりKAAT神奈川芸術劇場・芸術監督。

宮本亜門演出『耳なし芳一』 2013年4月13日からKAAT神奈川芸術劇場にて上演。 http://www.kaat.jp/pf/miminashi2013.html



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