日本を代表する演出家であり、KAAT神奈川芸術劇場(神奈川県横浜市中区山下町281)の芸術監督も務めていらっしゃる宮本亜門さん。テレビやCMでご存知の方も多いかもしれませんが、実はひきこもり経験者でもあります。

高校時代のひきこもり経験を著書「ALIVE」(2001年、NHK出版)をはじめ、各所でオープンに語っています。(「ALIVE -僕が生きる意味を見つけるまで-読んでみた。」

ひき☆スタでは、「きれい事で終わらないインタビューを」といったサイト利用者の思いを携え、宮本さんの本音を引き出そうとお話を聞いてきました。

前回のインタビューでは「家族のつながり」について、第三者に自分の考えを肯定してもらえたことがひきこもりを脱っするきっかけになったこと。そして、「家族」という関係に縛られることなく、お互い「違う人間」だという認識を踏まえることについてお話していただきました。今回はシリーズ第4弾です!


4.-「現代社会とひきこもり」-

インタビュー第2弾でもお話されていたように、宮本さんはひきこもっている時「社会や仕事への恐怖感」をとても強く持っていました。インタビュー第4弾はこのことを深く掘り下げた内容となっています。

人に「こうあるべきだ」と強いる「社会」や「学校」のシステムに馴染めず、悪いように言われても「それは悪いことではなく、むしろ良いことかもしれない」と話す宮本さん。それはいったい、どういうことなのでしょうか?


◆ひきこもりの体験を社会に発信してほしい

日本の場合は、仕事をしていても友だちといても「こうあるべきだ」という無言の圧力を感じることがあって、自分の本心をさらけ出すことができないことが多々あります。これは日本の特性の一部だとぼくは考えています。戦後の急激な高度経済成長は、人に仕事はこうしなさいという、考えなくても物事が進むシステムを作り上げ、その中でマニュアル通りに働くことを良しとしてきました。

しかし、それは、自立心の少ない無気力な人間を作ることにもなったのだと思います。自立心が育たなくては、突然の環境の変化に対応できません。それが、世界的に日本には自殺者が多い理由の一つにもなったと思います。

では他の国はどうかというと、例えばアフリカでは、日本人のようなお金も経済力も持っていませんが、実に生き生きとしている人が多いのも事実。なぜでしょう?幸福のものさしが違うからです。

残念ながら今の日本社会の幸福のものさしは、「お金と名声、それにバランスよく普通であること」です。そんな中、感性が鋭い人は、疑問を感じ、ひきこもったりするのです。だからこそ、ひきこもった経験がある人は、職を得ようとするなら、そういった今までのシステムに縛られない、新たな発想が必要とされる会社や、自分の才能が開花できる自由業などを目指した方がいいと思います。自分の特性を生かすべきだからです。

――「社会に入って一人前」という表現があるように、仕事をして社会生活を営むことで他者から認められる、といった感覚が我々の中にはあるように思います。ひきこもってしまうと周囲からは一人前と認められず、何とかして社会に出なければ、仕事をしなければ、ともがいている方が多いようです。

「社会に認められ、一人前として認められたい」のですね。では、あなたが認められたい社会とは、どの社会のことですか?まずそれを明確にするべきです。ただ漠然と社会と言っても、どの社会か、誰もわかりません。あなたが認められたい相手を、社会を想像してみるところからはじめたらどうでしょう。

現代は、インターネットが登場したことで、世の中も大きく変わりました。それだけ、様々な価値観が溢れるようになった。今まで「優等生」と言われていた人たちが、今では「つまらない」と思われる時代になってきている。これは実に面白い、新たな価値観が生まれる時期にあなたがいるということです。

東日本大震災以降、今は保守的な人たちの発言が表立っていますが、ひきこもりの性質を持ったような人たちの活躍が、これから出てくるんじゃないかと期待しているんですよ。ひきこもっている人たちこそ常にいろいろな面から物事を考えているから、発想が面白い人が多い。実際、ぼくも大人になって「この人の発想は面白い!」と思った人の多くは引きこもり経験者です。

もちろん歴史上でもニーチェしかり、世界を変えた発想の持ち主に引きこもり経験者はたくさんいます。そんな経験があるからこそ、単に普通ではない、何か面白いことを思いつくのではないでしょうか。でも、自分一人だと考えがまとまらなくなることもあります。ならば、ひきこもり同士がどんどん集まってコミュニティを作れば、違う価値観を大きく展開できるかもしれません。

そのためにも、ひきこもりの体験を「自分の大きな勲章」と思って「ぼくはひきこもりでした」と自分で言うのもいいでしょう。今までひきこもりに偏見を抱いていた人たちが、「ひきこもりは何でもないことなんだ」と理解し、差別意識を消していくには、どんどん発信した方が良いと思うのです。ぼくも声を大にして言ってます。「ひきこもりでーーーす!」と。なかなか気持ちいいですよ。

ただ、保守的な固い会社だと、やはりある覚悟は必要でしょう。そういう構造はすぐには変えられませんから。仮にそういうところに入ったら、演技をして人と接し、家に帰ったらまた本当の自分に戻るという、二面性を使い分けることになるかもしれません、ジギルとハイドのように。でも、強靭な心の持ち主で、「それが楽しいんだよ!」と胸を張って言えるなら、それも一つの生き方として良いとは思いますが。

<『マダムバタフライX』=2012年、KAAT神奈川芸術劇場 撮影=林喜代種>



◆つらくても、理想を持って生きています

――お金は必要だけど、苦しい思いをしてまで生きること自体に意味を見出せない。だから、動き出すことができない……そんな辛い思いをしている当事者の方もいます。「生きるってなに?」「どうして人とそんなにつながらなきゃいけないの?」と、どんどん根源的な方向へ自問自答をする日々を送っているのではないかと思います。

見方を変えると、「人と付き合いたくないから、もうつながりなんていらない」と言えるのなら、それもまた一つの「強さ」なのかもしれませんね。でも、ぼくはそれをしたくなかったから、ひきこもったんです。逆説的に聞こえるかもしれないけど、他の人から見たらぼくはひきこもっているわけだから、「人と会わないでいられるじゃないか」と思われるのだけど、ぼくの本心は逆なのです。
心の奥では「表面のぼくではなく、本当の自分として、他者と向き合いたい!」と思い、悩んでいたのです。「一人でも生きていけるよ」とやせ我慢しては、自分が好きな自分ではいられなくなる。だから、矛盾しているように、聞こえるかもしれないけど、ひきこもる理由は「本当に人と会いたいから」なんです。

ただ、ひきこもりの時間が長くなりすぎると「慣れ」というか、何を自分がしたかったのかが分からなくなってきて、「もう、このまま生きていってもいいかな」っていう無気力感にとらわれることもあります。それでも、ふとした時に孤独感にさいなまれて、それが心底、辛くなる。解決せずにほったらかしても、心は正直に反応するんですよね。

――そうした状態から脱したいと思っていましたか?

もちろん思っていました。でもその時は、とことん自分はダメだと思っていて。何を考えても空回りして、ひきこもりを脱出するための答えが見つけられなかったのです。「自分はこれからどうなるんだろう」っていう不安ばかりが募って。

――その時は、「どうなりたい」というような目標はありましたか?「本当はこうなりたい」という思いはあるけど、できないからひきこもっているとか……。

どうもぼくは理想主義のようなんです。その理想とは、みんな分かり合えて、みんな幸せで「ホッ」とできて、みんなが、お互いを本当に好きになれる……。でも、その理想って今でも変わらず、自分の中にあります。どうもぼくは、その思いに向けて、生きているようなところがあってね。

少し話が違うかもしれませんが、ぼくの住んでいる沖縄は、そういう理想に近いところもあるんですよ。沖縄に帰ったって、誰もぼくの仕事のことなんて聞いてこない。「体だけ大切にね」って感じで話してくれて。変に構えて話さくてもいいし、等身大のぼくを見てくれる。ホッとできて、お互いを身も心もある人間として見ることができて、気持ちがすごく楽になります。

◆世間で言う「悪い」は、とても面白い個性だったりする

――宮本さんの著書「引きだす力―奉仕型リーダーが才能を伸ばす」(2012年10月刊=NHK出版新書389=)のもととなったNHKのテレビ番組を拝見しました。そこで宮本さんは、人の良いところを見て力を引き出してあげる、人が好きで、怒らないで話をする、という人との関わり方をされていてとても印象的でした。そういった視点は、どのように育まれたものなのでしょうか?

なぜぼくが人を褒めるのかというと、実はぼくが褒められたいからです(笑)。お互いが笑って褒め合ったり、スキンシップを取ったりするのが大好きなんですよ。子どもだって褒められたり、触れてあげたりすると喜ぶでしょう?それは大人も子どもも、うちの犬も同じ。人との関係も、ただただ、そういう向き合い方でいいんじゃないかなって思ってるんです。

役者を見ていて思うんですけど、自分の良いところを知らない人が多いですね。悪いところはいろいろと並べる人は多いのですが、良いところになると限定して答える。これは日本人の謙虚さへの美徳なのかもしれないけど、自分を認められないのはちょっと困ったものです。

だからぼくは、本人の知らない「良いところ」をはっきり言います。「そこ、凄く良いよ」と。すると、面白いことに、ほとんどの人が眼を丸くして「えっ!」って驚くんです。本人たちは、それが自分の欠点だと思っていたからでしょう。でも、それはぼくからすると彼らの「個性」であって、それは何一つ否定されるものではない。

「背が高いんです」「背が低いです」「肥ってます」「痩せてます」「変わってるんです」「明るいんです」「暗いんです」それは全部、その人しかもっていない素晴らしい個性なのです。


<「引きだす力―奉仕型リーダーが才能を伸ばす」=NHK出版新書389>



価値観というのは、人によってバラバラ。それが、本人には悪いことのように見えても、それ自体が悪いわけでは決してなく、むしろ良いところ、その人にしかない個性として捉えてもらい、活かしてもらうために褒めるのです。

この世の中には、これが正しい、これが間違っていると断定できることは、本当はないのかもしれません。世界のものさしは日本とは全く違ったりするので、それもあってぼくはよく海外に行きます。それは自分の価値感を小さくして、狭い了見でモノを見たくないからです。価値観は自分で縛るためにあるのではありません。大きく広げるためのものさしとしてあるのです。

一つだけの価値観に縛られず、いろいろな生き方があっていいと感じれるようになったぼくは、ひきこもっていたお陰で、妄想癖があります。今だって「演出家」という仰々しい名前の仕事はしていますが、ちっとも立派だなんて思っていません。簡単に言えば、台本を読んで、音楽を聴いて妄想しているだけ。それを役者やスタッフとともに実現化しているのです。

一緒に演劇の仕事をやっている役者やスタッフも、ぼくが呆れるくらい楽しんでいるので「あれくらい自由にやってもいいんだな」と面白がってくれることもあります。稽古場は常に、開放的でありたい。周りに振り回されて自分の長所と短所を決めつける所なんかじゃなくて、世間の常識にとらわれない個性や色を存分に生かす場にするのです。

人はそれぞれ違うのだから、当然ひきこもりの人たちだってそれぞれ違います。いろいろなタイプの人が、さまざまなタイプの考えがあるから、ひきこもりの人たちが集まったらすごい会社ができるかもしれませんね、世界を変えるほどの。
そういう発想で、それぞれに適した、個性を発揮できる場所が作れればいいですよね。
例えば「あなたはこういうのが向いているかもしれない」とか「これをやってみたら面白いかも!」という風に、一緒に相談に乗ってあげる人たちがいたりして。古い世間の言う「欠点」がもうすぐ、素晴らしい「個性」だと言われる日が来るのを夢見て。

誰もが最大限に自分を活かせるのが、ぼくの夢であり、ぼくが思う理想の地球人の姿なんです。


(今回の取材は、ひきこもり経験者を含むスタッフ4名で行いました)


宮本亜門
(みやもと・あもん)


演出家

1958年生まれ、東京都出身。 1987年演出家デビュー作「アイ・ガット・マーマン」で文化庁芸術祭賞を受賞。2004年NYブロードウェイで東洋人初の演出家として手がけた「太平洋序曲」が、トニー賞4部門にノミネートされる。

2011年KAATのこけら落としとして、三島由紀夫原作の「金閣寺」を舞台化し、NYリンカーン・センター・フェスティバルに招へいされた。2013年は5月ミュージカル「スウィーニー・トッド」、オペラ「TEA」(バンクーバー)、8月彫刻家イサムノグチを題材とした舞台「イサム」、移動型ミュージカル「ピノキオ」、初めて手がける歌舞伎「はなさかじいさん」の演出。9月にはオペラ演出では初となる欧州進出で、オペラ「魔笛」をオーストリア・リンツの新歌劇場で上演するなど、国際的な活動も目白押し。

近著に「引きだす力〜奉仕型リーダーが才能を伸ばす」(NHK出版)。
12年「メガネベストドレッサー賞」(文化人部門)受賞。
2010年4月よりKAAT神奈川芸術劇場・芸術監督。

宮本亜門演出『耳なし芳一』 2013年4月13日からKAAT神奈川芸術劇場にて上演。 http://www.kaat.jp/pf/miminashi2013.html



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