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某人物の発言のせいで、ここの雰囲気がとても悪くなっている。ある時は自分の体験に基づく説教を投稿。またある時は別の人の投稿にかこつけて返事にもならぬ文章を垂れ流してた。
で、それを要約してみれば『我が子の愚痴』。だいぶ前になるが、相手を言い負かすのが目的になっている投稿をみたときは、ほとほとウンザリした。・・・。
(本人に自覚はないだろうが)
このままでは当事者やまともな家族、第三者の投稿がストップし、サイトの活気が失われる。
ひきスタは、こうした人物の投稿並びアクセス禁止の措置を取ってほしい。
(一部修正)

【編集部より】
投稿コーナー『言ってみた。』では、投稿ルールに反しないかぎりすべて書き込まれたままの内容で掲載しており、特定の方の投稿・アクセス禁止措置等は行っておりませんのでご了承ください。
『言ってみた。』コーナーについて http://hkst.gr.jp/news/5290/

神奈川県 匿名希望

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16つのコメントがあります。

  1. 神奈川県 あき says:

    神奈川県 匿名希望さんの意見に対して。 「某人物の発言のせいで、ここの雰囲気がとても悪くなっている。」とありますが、それはあなたの意に添わないから気にいらないというだけでしょう。以前ひきこもりの親の意見が聞けてよいという投稿もあったと思います。世間はあなた中心に動いているわけでありません。立場が変われば色んな意見がでるものだとわかって欲しいです。世間知らずと感じるのでいろいろなことを投稿しました。世の中はそういうこともあるんだと少しはわかって欲しいです。

    「我が子の愚痴」とありますが、愚痴とあなたが感じるのは仕方ありませんが「親がこれほど悩んでいるのだとは感じないのでしょうか?親も相当苦しんでいると微塵も感じませんか?」 私は自分の子がひきこもりだから、少しでも情報提供になればと思い、フリースクールのこと、サポーターを派遣してもらっていること、講演会にいってきたときのこと、親の会の活動、自分が派遣会社で働いたこと、行政にはたらきかけてきたこと等書きました。それが、参考になったという人もいるはずです。 あなたにとって耳の痛いことかもしれませんが、現実は甘くないんです。

  2. 神奈川県 あき says:

    時間がたつにつれて我が子の愚痴と書かれたことに腹が立ってきました。他の方の投稿で「自分で出れるくらいなら、自分で出てる」とか、「感傷に浸っている」とかそういうのは愚痴にはなりませんよね?私は時々子供の様子を書いたけど、それは愚痴になるんですか。じゃあ、愚痴とそうでない違いは何ですか?そういった発言が相手を傷つけていると思いませんか?親も相当悩んでいるとわかりませんか?私が以前息子が急性アルコール中毒で倒れたとき救急車で運び、自分自身もショックだったけど、その投稿文にたいして
    「べつに~」ボタンを押した人がいて他人の不幸に対して、べつに~にボタンが押せる冷たい人がいるのだとびっくりしました。
    私が投稿したのは、皆さんも悩み過ぎてアルコールに依存するとそんなふうになるから気をつけての意味もあったのです。どうしたらひきこもりがいいほうに向くのか、真剣に考えているからこその投稿です。関心のない人はこのサイトを見る事すらないでしょう。自分のもっている情報を出来るだけ提供したいと思って投稿しました。名前をころころ変えると批判もあったけど、それにも事情があったのです、最初「はる」としたけど、これは本名でかえって来た投稿に「はるは~しろ」と自分の名を呼び捨てにされたのが嫌で変えて、そのつぎHママととしたけど、ひわいな感じがするなとか、今もあきと名乗っているけどそのときは秋だったからそれでいいかと思ったけど、亡くなった妹を思い出すからこれも変えたいのだけど、そんなのどうでもいいじゃないということでも、非難してくる人がいるから、投稿するってことは、自分も傷つくものだとわかりました。
    「ひきスタは、こうした人物の投稿並びアクセス禁止の措置を取ってほしい。」本当によくこんなこと書いたよね。県のサイトなんだからね。いろんな人がいていろんな意見がでて来るのは、当たり前なのです。自分の意見に相反する意見は載せないで欲しいという要望がとおるわけがない。いろんな人がいろんな意見を出して、議論をして、それによってわかりあえることもあるし、誤解してたと気づくこともあるし、そして、答えを導きだしていくものなのですよ。

    1. 千葉県 臨海 says:

      あきさん。

      あなたが良かれと思ってどれほど書き連ねても、その言葉に説得力を欠いているのは、本質的にそれらが「あなた自身」に対して向けられているものだからです。

      「親も悩んでいる、苦しんでいる」と、あなたはおっしゃる。たしかにその通りでしょう。しかし、『なにも「親ばかりが」また「あなたばかりが」悩んだり苦しんだりしているわけではない、「あなたよりも」悩み苦しんでいる人たちは「他に」大勢いる、それに比べれば、「あなたの」悩み・苦しみなど大したことではない』というようなことも、あなたの論理によれば言いえて然るべきでしょう。そうではありませんでしたか?

      また、「いろんな人がいて、その立場が変われば、いろんな意見が出てくる」と、あなたはおっしゃる。まさしくその通りです。しかし、あなた自身が、「あなたの意に添わない」意見や仕打ちをあなたに向けて投げかけられたときに、いったいどのような態度を示されていたでしょう?「世間知らず、わがまま、知識ばかりで経験が足りない、素直に言うことを聞かない」などなど、「相手のことなど、なにもわからないのに」あなたの先入観から相手の「立場」を紋切り型に決めつけ、それらを無碍にはねつけてはいなかったでしょうか?あなたがそのようにあしらう「相手の立場」に、あなた自身ははたして立ってみたことがあったでしょうか?相手の言葉に「素直に」耳を傾けたことがあったでしょうか?あなたに向けられているそれらの言葉は、まさしく「いろんな人の、いろんな意見」ではありませんでしたか?それらにあなた自身が直面して、それに大人げなく感情的に反応してしまうあなたの「豊富な人生経験」とは、はたしていかばかりのものなのでしょうか?そもそも、明瞭にあなたのことを名指ししているわけでもないのに、それでもこのように「自分のことが言われている」とわざわざ反応してしまっているのは、あなたにも何かしらその自覚があるからでしょうか、それともあなたの「プライド」ですか?

      「外の世界に出たいという気持ちは、その時期が来たということだ」と、以前あなたはおっしゃった。しかし、あなた自身の息子さんに対して、その気持ち、その「小さな一歩」の足下から掬い上げ、ひっくり返すようなことをしてはいなかったでしょうか?アレもダメ、コレもダメ、どうせアンタには出来っこない、などと先回りしていちいち通行止めにしてはいなかったでしょうか?あなたの書き込みでうかがえる範囲では、折々に息子さんの「気持ち・意欲」というのは見えてくる。もちろんそこには、現実的に的を射ているのもあれば外しているのもあるでしょう。しかし、そこに「気持ち」があるというのは確かなこと。それを妥当なポイントに導くことは「経験豊富な大人」として可能であったのではないだろうか。しかしあなたは「アンタには出来っこない」と一方的に話を終わらせてはいなかったか?あなたは、自分の「お眼鏡に適う」のでなければ、その「気持ち・意欲」をそうとは認めようとしなかったのではないか?少なからずそれに「懸けていた」気持ちを「出来っこない」で済まされれば、「どうせ何も出来ない」という気持ちに転化されてしまうのではないだろうか?そりゃあヤケにもなるし、「気持ち」も荒むことでしょう。

      あなたが「息子の愚痴」をまき散らしている、というのはたしかに当たらないかもしれない。むしろそれはあたかも「扱いづらくて壊れやすい電化製品」に対する不満のようであったかにも思える。「自分の意に添わない・言うことを聞いてくれない・指示に素直に従わない・思い通りに動いてくれない・役に立たない」などなど。要するに「使えない」使用対象物に対する不満・苛立ち。あるいは、パートのおばちゃんたちが「あの子のココがダメだ、アソコがダメだ」と、「使えない」バイトの子について休憩室で角つきあわせてヒソヒソ交わしあう「陰口」のようなもの。正直、あなたが書き連ねてきた息子さんについての話は、読むに堪えない軽蔑の言葉が連ねられていることもしばしばだった。逆に、よくもここまで突き放して言えるものだと感心さえ覚える。まさに、親子は他人のはじまり。自分の身近な者が、もしかしてウラではこんな風に見ているのではないかと思うと、心底肝の冷える思いがしてきます。あなたの息子さんも、母親が自分のことをそのような利害対象物として、自分に対する価値判断を冷ややかな視線で計りにかけているのだということを、ヒシヒシと感じ取っているのでしょう。

      あなたは、ご自身の幼少期からの疎外経験から、「他人と理解し合うのは無理なことだ」とおっしゃる。しかし反面、現実生活において、その「他人」に「依存」している、「依存しなければ」生きていけない「立場」にある。そのことはあなた自身お認めになられることでしょう。その「依存している他人」の一人が、あなたの息子さんです。あなたはそれを逆に思ってらっしゃるのかもしれない。しかし、そうではない。あなたが、息子さんに、依存している、のです。だから、息子さんが「言うことを聞いてくれない・従ってくれない」ことに腹を立てているのではありませんか?

      先日あるドラマで、母親に気に入られようとその期待に応えてずっと優等生を演じ、大学までエリート街道をひた走ってきた若者が挫折して、自らと向き合ったときに、母親との関係を見つめ直してその「本心」を当の母親に意を決して伝えるという場面がありました。そのときのセリフはこのようなものです。

      「お願いだから、僕の人生から出て行って下さい」

      なぜ彼は、こんなことを言わなければならなかったのか。なぜこのような「お願い」を自分の母親に対してしなければならなかったのか。 それは別に、母親の「支配」を断ち切りたいばかりの話ではない。むしろ、母親に対して、「あなたのことを憎ませないでくれ、嫌いにならせないでくれ」という思いからではないでしょうか?

      あきさん。あなたにとって息子さんは、「自分の意に添わない、思うようにならない」困った子供であるかもしれない。しかし、息子さんは彼なりに、あなたの「気持ち」に配慮しているように思われてならない。渋々にでもフリースクールに行ったり訪問支援者を受け入れたりしていたのも、実はあなたの「顔を立てる」という側面があったのではないかと推察しています。それは彼の本意ではないけれども、しかしそれを拒んであなたとの関係を「決定的に破綻させてしまう」ことは、彼にとってもコワいことだったはずです。もちろんその意味では、彼もあなたに「依存している」とは言える。しかし、それを一方的に責めることはできない。なぜなら人と人との関係は、どのような立場であれ「お互いさま」だからです。

      あなたの息子さんが、あなたのことを「嫌いになりたくない・憎みきりたくない」という気持ちを「今でも」持っているということを、決して疑うべきではない。しかし、彼が「今」それを「素直に言う」ということはできないでしょう。そんなことをおくびにも出したら、際限なくどこまで「自分の人生に入り込んで来られるか」わかったものではない。「今までのように」あるいは「今まで以上に」あなたの「思惑」に振り回されて、その挙げ句「後はなるようになれ、です」なんて言われた日には、もはや泣くに泣けないことになってしまうかもしれない。それはさすがにたまったものではないのです。もちろん、あなたはそれを、息子さんに良かれと思ってされていることでしょう。しかしそれは実際には「あなた自身のため」にしか、その方向が向いていない。「今まで」も、「これから」も。そのことを息子さんは「わかってしまって」いる、だから「素直にはなれない」のです。

      あきさん。息子さんが「いつか外に出てくれる」ことを待っているよりも、あなたが「今」息子さんの人生から「出て行ってあげる」ということを考えてみたらどうだろうか?「南の島に住む夢がある」と、あなたはおっしゃっていた。結構ではありませんか?いつか、と言わず「今すぐ」実行されてはいかがでしょうか?もちろん、あなた一人で。あなた自身が「一人で生きている」姿を垣間見れば、息子さんも何かしら感じ入るところがあるのではないだろうか。しかし、当然そんなことは「あなたには出来っこない」でしょう。だからそれは、「何らかの意味で」ということで十分なのです。あなたが、息子さんの人生から出て行ってあげるということを、「今こそ」あなたの息子さんに示してあげてほしい。それは、どういうことか?あきさん。それは、あなたが、「あなた自身の人生」を生きるということ、あなたが、「あなた自身を生きている」ことを示すということに他ならないのです。

      あきさん。私はあなたを決めつけているでしょうか?おそらく、あなたの思っていらっしゃる通りでしょう。もしあなたがそのように感じておられるなら、それは、あなたがこの「鏡」を通して、「あなた自身の姿」を見ているということなのです。あきさん。あなたがこれまで言ってきたこと・してきたこととは、まさしく「こういうこと」です。もしあなたが、それに対してどのように「感情的に」反応しても、それは「鏡の中の自分」に対して反応しているのに等しい。その言葉は、直接「あなた自身」に向かってはね返り、直接「あなた自身」に突き刺さるだけです。あきさん。今はじっくりと、この「あなた自身の姿」を見つめ直してみることでしょう。今ここで、あなたが自分自身と向き合うことで、あなたが「自分自身の人生を生きていく」ということが、ようやく始まることになるのではないでしょうか?

      私たちもあなたのことを「鏡」として見て、自分自身の襟を正すこととしましょう。その意味で、あなたは十分「役に立っている」と言えるでしょう。

      1. 神奈川県 あき says:

        ご意見ありがとうございます。私もいろいろ学ばせていただいています。
        私が、このサイトに投稿したきっかけは引きこもり支援相談士の資格をとって勉強はしてみたものの、「どうしてひきこもりになるのか。どうしたらよいのかわからない。」からでした。投稿を重ねるうちに自分でもいろいろとわかったきたことがありました。自分が育ってきた時代の価値観と現在では大きく違うということです。私(52歳)が育った時代は、高校まで行くのは当たり前。そのあと進学するかどうかは個人の選択だけど、大人になったら正規雇用で働いて家庭を持って子供を育てる。それが当たり前なんだとそう思いこんでいましたから、子供もそういう風になるように育てないといけないと思っていました。だけど、自分の子が不登校になり、あせりました。休めば、どんどん授業についていかれなくなるのに、この子の将来はどうなってしまうのだろう。
        いろいろなところに相談にいき、合宿型のフリースクールに入れました。それでよい方向にすすんでいる人もいます。なんでも試してみないことにはわかりません。子供に学力がついたことは大きな成果だったと思います。おととい、息子あてに専門学校の受験票が届いていたのです。親には受験する相談はありませんでしたが、もし、いけるのであればうれしいです。臨海さんが言うように子供のいう事に否定的なことを言ってしまったことがあります。それは、かつて東大だの慶応だの騒いでいたので「自分の実力を考えて物言えよ。」でした。やっと自分の実力と照らし合わせて考えるようになったのかと少し安心しました。
        ドラマのシーンは私も見ました。主人公を中心に描いているので、そういうセリフになると思いますが、私はおかあさんも一生懸命育ててきたのにあんなこというなんてひどいと言う感想です。親の立場は違います。親は子供がいくつになろうと心配で口を出さずにはいられないものです。親になればわかります。親にならないとわかりません。私はあのおかあさんの気持ちが痛いほどわかります。夫が医者なら、夫の親からも後継ぎをと望まれるはずですし、周囲からもそうそうしないといけないようなプレシャーを感じていたのです。そういう家の嫁の立場もあるのです。あのおかさんもりくちゃんが医者に向いていないとだんだんにわかってくるでしょう。
        私も最近子供のすることに、口出ししないようにしています。本人が納得しないうちはそうは動かないとわかりました。以前は、安定した職に就いてて家庭を持って欲しいと思っていました。けれど、今は正規雇用も少ないし、結婚しないと老後は寂しい思いをするから結婚した方がいいと思ったところで、本人が結婚を望まないのであれば仕方ないんだなーと思いました。子どもは口を利いてくれませんが、反抗期だと思っています。でも、いつかわかってくれるはずと信じています。
        ひきこもりの親は自分たちが死んだら後どうやって生きて行くのかが、すごく心配なのです。けれど、最近思いました。自分が死んだらどうしてあげることもできないと。その後は自分の力で生きてもらうしかないと。

  3. 宮城県 トリコロ says:

    ここのひきこもりを叱る前に、あきさんのお子さんをひきこもりから快復させてください。私たちはあなたの息子ではありません。

    1. 神奈川県 あき says:

      トリコロさんへ 叱ってるつもりはありません。ただ、ひきこもりが長くなるにつれて本人が苦しくなるような状況がでてくると予想されるので、「えいっとがんばって、外にでてみたら案外出来たりするから、ちょっとがんばってごらん。」という気持ちです。ただ、飴とムチという言葉があるようにときには厳しい言葉も必要と思います。世の中は優しい人ばかりでないので厳しい事を言わて、慣れるのもひとつの訓練です。
      親が回復させるなんて無理なんです。親のいうことに従うような子ならひきこもりにはなっていないでしょう。ひきこもりは本人が外へ出たいという気持ちにならないと無理なんです。うちの息子に関して言えば、通信制の大学生で、ネットオークション等で収入もそこそこあるみいたいだし、自分に必要な買い物には出かけているので(自分で稼いだお金)、このまま様子を見るしかないなと思っています。親が頼んでいる訪問サービスのサポーターに会うことを本人が拒否しているので仕方ないです。。
      親としては、「朝行ってきます。」と大学なり、アルバイトなり、習い事でもいいから通えて、夜、「ただいま~」と帰ってくる。そして、お友達と遊びにいったり他人とうまく付き合えるようになって欲しい。と思うのですが、たぶん、他人とのコミュニケーションが苦手なんだと思います。株式の本とかよく読んでいるので、お金を貯めてそういうことで食べていこうとしているように思います。他人とコミュニケーションが苦手ならそういう生き方もありかなと思うようになりました。

  4. 千葉県 臨海 says:

    あきさん。
    今あなたの直面する問題の根本とは、あなた自身の「生きづらさ」にあると、私は見ています。まずひとつ顕著なところとして、あなたの幼少期からのことにおいて、その影響が見て取れるのではないかと、あなたの書き込みを見るかぎりでは感じられます。それは、あなたと、あなたの親御さんとの関係においてあらわれ、それが結果的に、あなたと、あなたの息子さんとの関係に反映されているように思われます。端的な例として言えば、虐待する親たちに垣間見えるような、「ある一つの傾向」が、うかがえるように感じます。あなたは、「あたしは虐待なんかしてないわよ!」と、お怒りになられるでしょう。しかし、もちろんそのような直接的な話をしているわけではない。たとえば、病弱だった幼少期のあなたに、あなたの親御さんが、「身体を健康にするために、これはいいことなのだから」と、「良かれと思って」ムリヤリにでもお腹いっぱい、あなたに食事を摂らせていたと、あなたはおっしゃっていた。それが、あなたは「イヤだった」とも。しかし、今度はあなたが、「良かれと思って」あなたの息子さんのお腹をパンパンに膨れ上がらせているのではないだろうか。ムリにお腹いっぱいにされているものだから、あなたの息子さんは、この十数年間、ゲロゲロと嘔吐しっぱなしの状態なのではないだろうか。親からされてイヤだったことを、自分の子供にもしてしまう。まさしく「典型的」な一つの傾向として見られるものだとは、一般にもよく言われていることでしょう。やっかいなのは、やはり「親」はそれを「良かれと思って」やっているということ、そして、「そのやり方しかできない」から「他のやり方ができない」ということにあると思われます。だから結果的に、それが負の連鎖として、延々と世代的に引き継がれていってしまうのではないでしょうか。あなた自身が、今もって親の影響から抜け出せないままでいる、それゆえに、あなた自身も、あなたの息子さんを自分の影響下に置き続けたいと、たとえそれは無意識にでも、そのような接し方になっているのではないだろうか。
    その他の点についても、たとえば、自己肯定感が稀薄であるがゆえに権威迎合の傾向が強いとか、いろいろな側面が見受けられますが、また長くなってしまうのでやめておきましょう。ともあれ、そういった部分もやはり、息子さんにどこかしら反映されてしまっているのは考えられることだと思います。
    この場は、親の個人としての問題を考えるには、あまり適切ではないかもしれない。だけど、親の個人としての屈託が、なにかしらの形で子供にも反映されてしまうこと自体は見逃せない。これは、ひきこもり云々に限定されることではなく、また、あきさん個人に限定されることでもないと考えます。逆に言えば、親が「一個人として」自分自身と向き合い、「生き直す」ということが、その子供になにかしら反映されるだろうということは、十分に「期待できる」ことだとも思うのです。

  5. 千葉県 臨海 says:

    あきさん。
    もし6日の私の書き込みにレスが入るようであれば、そこで返信を考えようかとも思っていたのですが、さしあたり少しだけ、申し上げておきたい。
    ここにいたってもなお、自分の立場がこうむるキズや痛みにしか関心を向けることができないというあなたの心理傾向には、予想をはるかに超える深刻さがうかがわれて、思わず衝撃を覚えずにいられない。あなたは、「自分の気持ち」を「わかってもらう」ことにはご執心で、「わかってもらえない」ことへの自己憐憫には拘泥しているが、「わかってもらいたい」あるいは「わかってもらえない」当の相手が、はたしてどのような「気持ち」であるのか、それに思いを馳せる言葉はついに一言もない。なぜそれを「言わなければならなかったのか」またその背後にはどれほどの「決意」を「しなければならなかったのか」ということについて、想像することすらできない。そればかりか、自分の息子に対して、「ようやく身の程を知ったか」とでもいうような勝ち誇った態度で接する。「他人」ですら、これほどの侮辱・嘲笑・愚弄はなしえないでしょう。それは、その関係が決定的に断絶していると認識される場合にしかあらわれない態度です。心底胸糞が悪くなる。
    あなた自身が、「相手の立場に立って考える」ということが「いっさいできない」人なのは、もはや明白であると思えます。あなたは「親の立場は違う」「親になればわかる」「親にならなければ、わからない」とおっしゃる。なるほど。あなたの論理で言えば、「相手の立場」に立って考えるには、相手と「同じ立場」に「ならなければ」ならないということになる。そうであるなら、もし、あなたが「ひきこもり」のことを「わかろう」とするならば、あなた自身が「ひきこもらなければ」ならない、ということになる。どうでしょう?要するに、あなたは「自分にはできもしないこと」を、「他人に」要求していた、ということです。結局のところ、あなたは、「自分の立場でしか」ものを考えることができない人なのです。そういう人が、「自分は人の意見に、真剣に耳を傾けている」と平然として言う。笑えない冗談です。 あなたのおっしゃることは、このようにことごとく矛盾をはらんでいる。その枚挙にはもはやいとまがない。あなたの言うことは、ことごとく「あなた自身に」あてはまる。だから、あなたは、言えば言うほどみっともない。あなたが笑っている「相手」は、当の「あなた自身」だからです。
    一度あなたが書き込みをはじめた当初から、あなたとあなたに関係する投稿を読み直してみたらいいと思う。背筋が凍ります。最初にあなたにお呼びかけしたときに、あなたの「実在」が疑わしい、と申し上げたと思う。その思いは、あらためて強くなる。「このような人」が「実際にいる」とは、にわかに信じられない。あなたは、「親」としても「大人」としても、かなり「特殊」であると思うが、しかし「何の特徴もない」のです。「典型」を「そのまま」生きているのでしかない。あなたは「自分の立場」しか関心がないが、そもそもあなたには「自己」がない。それが、「あなた自身の問題」の根本です。それに向き合わないかぎり、「将来がない」のは、「あなた自身」です。

  6. 神奈川県 あき says:

    臨海さんはひきこもりの原因は親にあると、結論付けているように思います。私が自分の親からされたことを書いたのは、自分も親からそういう扱いを受けたけど自分は引きこもりでない。それは、なぜなのかとわからなかったからです。私は、親と仲が悪くもないし(昨日も三浦海岸に母親と河津桜を見に行ってきました。)、親は私が嫌だと感じることもしたけど、親には親の苦労があったとも思うし恨んだでも意味がないと思うのです。それに、育ててもらった恩もあると感謝するべきと考えるのです。けど、他の人は恨みは書いているけど、良いことをしてもらったこともあったはずでそれには、感謝していないと感じるのです。
    私は、引きこもりの大きな原因はパソコンとテレビゲームと思っています。これらがなくても、逆にひきこもりでいられるのでしょうか?テレビや読書だけでは 退屈で時間をもてあますと思います。パソコンやテレビゲームは中毒性が強く、何時間でもあきません。そのため熱中するあまり不規則な生活、外へ出ることがおっくうになると思います。そうして、外に出なくなると他人とのコミュニケーションがなくなりますから、疎外感などからうつ症状が出やすくなると思います。そして、ひきこもり期間が長くなると実体験が乏しいために、余計社会に出にくくなるのです。こちらの方が負の連鎖です。
    パートのおばちゃんがあの子は使えないなどとうわさするのくだりは、あなたの実体験なのでしょうか?{人の口に戸は立てられない。}ということわざがあるように、人間は何人か集まれば必ず他人のうわさ話をするのです。自分のうわさ話をされたら、確かに嫌な気分になるとは思いますが、それを辞めさすことなんてできないのです。社会でうまくやって行くためには、そんなもんだと気にしないとか、いつか仕事で見返すとかそういう心持が必要です。こういう事は、社会に出て実体験を積むうちにだんだん身についてくるのです。パソコンやテレビゲームの2次元世界にいたのでは身につきません。3次元世界で生きて欲しいです。私は来週から派遣会社から税務署で働きます。最近仕事してなかったから、不安だけどがんばります。

  7. 千葉県 臨海 says:

    あきさん。 基本的にあなたのおっしゃることの「内容」については議論的に対応しない、ということはすでに申し上げた通りですが、どうも仕方がないので少々取り合ってみたいと思います。
    これまで私が書いてきたことをお読みになっていただけているならばわかることのはずですが、私は「ひきこもりの原因は親にある」などというようには考えていない。そもそも、そこに「原因がある」というような考え方を私はしないし、それが何事かの「結果」であるというようにも考えることをしない。私はここでは基本的に「過程」の話をしている。(またあなたが誤読をされてはかなわないので言っておくと、「家庭」ではなく「過程」です、念のため)過程の中での「関係」の話を私はしているのであって、ここでは具体的に、あなたとあなたの息子さんの「関係」について、あなた自身がここで書かれているところの、それに対するあなたの対応が、一体あなたの心理システムのどこから出てくるものなのかを、まさしくあなたがここで書いていることを資料として、私は考えているのであり、そういう話を私は「あなたに」しているのです。
    さて、あなたは「自分も親からそういう扱いを受けたけど」とおっしゃる。ということはつまり、あなたは「自分もそういう扱いをしたけど」と自らお認めになられているのでしょう。そんな扱いを自分も「同じように」受けていながら、「しかし自分はひきこもりにはなっていない」と、あなたは言う。なるほど、たしかにあなたは「現実には」ひきこもりにはなっていないでしょう。しかし、あなたのこれまで書いてきたことに基づくならば、あなたは「現実に」ひきこもるかわりに、「現実の」他人を寄せつけずにただ自分の「内面に」閉じこもってきたというだけの話ではないのだろうか。「どうせ他人はわかってくれないのだ」と、あなたは自ら他人との間に壁を作り、その内側に閉じこもっていたのにすぎないのではないか。そういう「関係のしかた」で生きてきた人が「親」になった。そういうやり方しか知らない人が「大人」になった。そういう人が、その下の世代、つまり具体的には「子」と「現実に関係する」とき、そういう「やり方」が「慣習的に引き継がれる」ということは、当然ありえないことではない。また、そういう「関係のしかた」が、「他人との間」で必ずしも良好なものとなりえないとき、そこに「負」の様相を見出しうるということは、まったく不自然なことでもない。閉じこもっているのが「内面的」にか「現実的」になのか、そのいずれであるにせよ、そういう「傾向」が「関係のしかた」として「ある個人」の生活様相に、「慣習的」に成立するというのは十分考えられることであり、それが「現実の関係」において、「世代的に相関し連鎖する」ということもまた十分ありうることと言えるでしょう。私はそういうことを言っている。
    私がひきこもりを原因的にも結果的にも見ないということは、先にも申し上げた通りですし、それはこれまでの文脈でわかるはずのことです。しかしあなたは、「ひきこもりは親のせいである」という「責任」を否定したいばかりに、「別の原因」を持ち出してくる。それも、表層の現象をさらったのにすぎない、トンチンカンなこじつけとしか言いようがないものです。テレビであれ読書であれ、「それしかない」なら、それでも「退屈する」ことはないだろうし、のめり込み具合しだいでは「中毒性」もあることでしょう。また、そのうちにネットやゲーム「以上のもの」が出てくれば、今度はそれが「原因」扱いされるのでしょう。「ネットやゲームだけでは退屈で時間をもてあます」とかなんとか言って。とどのつまり、後付けであれば、いくらでもそういうことは言えるのです。あなたは、こと「親」という一字が持ち出されると、とたんに過敏に反応する傾向があるようです。なんだかんだ言っても、やはり「親として」やましい気持ちがどこかにある、というわけなのでしょう。しかし私はそういう「立場」でモノを考えること自体が、大した意味のないことだと思いますが。
    ところで、あなたが今実際にこの文章をご覧になっている「これ」は、一体なんなのでしょうか?あなたは昨年来、「これ」にどれほど膨大な文章を書き連ねてきたことでしょうか?もはやちょっとした書籍一冊分くらいにはなっているのではないでしょうか?この際いっそ、出版化を検討されてはどうですか?ただ、この文章力では、ゴーストライターが必要になるかとは思いますが。それはさておき、昨年来あなたがこれほどまでに執拗に「これ」に関わり、あたかもそれにしがみついているかのごとくであるということ、このことを「依存」と言わずして、一体なんと言うのでしょうか?あるいは、「ここ」で様々なやりとりを交わすうちに、注目を浴びることへの「中毒性」が、知らず知らず芽生えてきていたのではないか?きっとあなたは「そんなつもりはない!」と抗弁されるでしょう。それを「使命感」に置き換えるのかもしれません。しかし、「依存」こそまさしく、「自発的気づき」が困難なものなのです。あなたがもし、本気で「これが原因」だと思っておられるならば、ご自分で今すぐにでも「この」回線をお切りになったらいかがでしょうか?それがもし本当にできるのであれば?
    次に、「パートのおばちゃん云々」のくだりの話だが、あの文脈でこれを私の実体験と読み違えるとは、なかなか大した想像力です。その能力を他で活かしたらいいのではないかと思いますが、しかしまあ、どのみちこのように読み違えてしまうのだから、結局その使い方もことごとく間違えてしまうことでしょう。
    人が寄り集まって、「誰か」の陰口を言い合っている。なるほど、よくある話です。しかし、もしその中に、自分の身近な人間、ここで具体的に言えば自分の「親」が、しれっと混じってあたかも「他人のように」自分に対する罵詈雑言を嬉々として言い募っている様を見てしまったら、その人は一体どう思うのだろうか?「そういう人」に信頼を抱けるのだろうか?「そういう人」の言うことを、素直に聞けるだろうか?私はそういう話をしている。単純な話です。読み違える余地もない。これは、「あなたのこと」です。それを、「あなたに言っている」わけです。しかしあなたはそれを、「自分の都合のいいように」読み違える。それもまた、言うなれば「大した能力」なのかもしれません。
    再々の繰り返しになるが、あなたのおっしゃることの矛盾と破綻は、取り上げれば実際問題キリがない。だからその「内容」に対して議論的に対応しても、何の意味もない。仮にここではそれがいったん結論をみたとしても、どこかで誰かとまたこのように「同じこと」を繰り返すだけのことになる。しかも「同じパターン」の話を。結局のところ、あなたのおっしゃることの「内容」は、その場の取り繕いであるか、誰かの鵜呑みであって、それ自体として整合性のあるものがないし、脈絡もない。要するに「内容」がない、のです。ただ、「わたしは正しいことを言っているのだ」ということ「だけ」がある。それ「だけ」が一貫している。それがもしひっくり返されれば今度は逆上して、窮余の最後っ屁を放って遁走する。そしてほどなく「別キャラ」を装い、またしれっと現れる。それが「パターン」なのです。いずれいつかまた、あなたはそのハンドルネームを変えて、まるで「初めて書き込んだ」という体を装って「ここに」現れることになるかもしれない。しかし、そのうちそれもまたボロが出る。すぐに「あなた」だとわかる。なぜか?「パターンが同じ」だから。しかしその「パターン」を繰り返していれば、あなた自身はいくらでも続けられる。不毛な循環です。それはおそらく、ここだけの話ではないでしょう。あなたはそういう「パターン・循環」を、「処世術」として身に付けて、「そういう生き方」で生きてきたのでしょう。「そういう生き方」に、「経験」は起こりえない。それは単に、機械的な反応にすぎない。機械は何も経験しない。機械はただ、「同じこと」を繰り返す。それはたしかに機械に「要求されている」ことでもある。しかし、その繰り返す「同じこと」を、一般に「経験」と呼ばれることはない、それは「反応」もしくは「動作」あるいは「作業」と呼ばれる。機械であればそれでよしとされるだろう、しかし「人間」の場合、その「繰り返し」に終始するだけであれば、それは「不毛」ということなのだ。
    私は、あなたのそういう「不毛さ」が、一体あなたのどのような心理システムから出てくるのかを見ている。それは実際、そういう「不毛な循環」のパターンの中にすでに反復してあらわれている。だから、あなたが何かを言えば言うほど、「それ」は、まるで木の周りをグルグル回ってバターになってしまう虎のように、「一つになって」くっきりとあらわれてくる。あなたがこれからも「意味ありげ」に何か話を続けようとも、その話はもう意味をもちえない。虎はもはや一頭一頭の虎ではない。一つになった、大きな無意味、つまり虚無。それが、あなたです。このグルグル回る不毛な循環が作り出すバターは、けっして鮮やかな黄色ではありえないだろう。それはどのような闇にも劣らず、暗く、黒い。それは周囲をも巻き込んで、光を奪う。人はその中にいるかぎり、その闇に気づかない。なぜなら、「自分自身」が闇なのだから。
    あなたはこれまで、そのような「不毛さ」に、自分自身では気づかないできた。しかし、今までは気づかなかったとしても、今から気づければ、それで十分だろう。それでもその不毛な「傾向」は十分変えられるだろう。それでもなお、あなたがそれをせず、「これまでと同じパターン」を続けられるなら、その図太さ、それはそれで尊敬に値するでしょう。ただ、そうなれば、もはやあなたに何か言う者もなく、あなたの話に耳を傾ける者もいない。それを承知ならば、どうぞそのままで。いつまでもお変わりなく。

  8. 神奈川県 あいうえお says:

    この投稿って運営サイトが捏造して演じてるんじゃないのかな? 最近閉鎖とかそういう話題が出てきてるから。

  9. 神奈川県 あき says:

    臨海さん
    あなたがどういう立場なのかわかりません。「あなたの話に耳を傾ける者もいない。」とありますが、私の投稿に対して同感ボタンを押してくださっている方はいます。それに774さんみたいに、障碍者年金のことは知らなかったから、ありがとうのコメントもいただきました。私は現実を生きて欲しい。その一点だけです。私が投稿した情報は、親の会、トカネットなどに実際に足を運んで得た情報です。時間とお金もかかっています。そんな情報を見ず知らずの人に提供するのは、少しでも現実を生きるすべを知って欲しいという気持ちです。だんだんわかる人にはわかってもられたの実感を感じています。私は今、派遣会社から税務署に仕事にいっていますが、仕事をしていると、規則正しい生活ができる、自分の悩みも仕事をすることによって、まぎれるので楽しいです。行くまでは不安いっぱいだったけど、何とか仕事も出来て、職場の人とも仲良くやっていけそうでよかったです。
    私は、5年くらい前に椎間板ヘルニアになったけど、生協の同じ班の人が洗濯物を干してくれたり、食材を運んでくれたり、救急車で病院に運ばれた折には、同じ信仰を持つ人が病院にかけつけてくれました。現実の世界での人とのつながりは、たすけあえるけど、ネットのつながりは本当に困ったときに誰も来てはくれません。 なんだったら、ネットにきている人に呼びかけて、いつ、どこで会おうとオフ会みたいなことをして、署名でも集めて役所に嘆願書でも出しに行ったら、あるいはどうしたらいいのか実際の人と話すべきでないでしょうか?

  10. 大分県 ぷるぷりん says:

    横から失礼いたします。 あきさま、アダルトチルドレン、世代間連鎖について、ネットで少し調べられて見て下さい。『毒になる親』についても…。もう御調べになられてるかもしれませんが。こちらのサイトにも、書評のコーナーからその分野の名著のレビューが読めます。

    誰もが好き好んで引きこもっているわけでもなければ、
    誰もが自分と同じ考え方、同じ感受性を持つ
    同じような人間ではありません。
    極端に言えば、親と子は、別の人間です。
    それぞれの人生を歩み、幸せの形は同じでは決してありません。

    私は今、親と全くコミュニケーションが取れない引きこもりです。
    親と距離を保つために、入院を控えています。
    なんでそんなことでと思われるかもしれません。
    しかし、親と離れないと精神的に冷静になれず、
    次の一歩が踏み出せないと思っての決断です。
    家の中で、親の気配を感じるだけでも逃げてしまうし、
    目も顔も合わせられません。異常だと思いませんか。

    ひきこもりには色んなケースがあると思います。
    しかし、自分の人生を振り返り見つめてみた結果、
    今までの人生で、私の母はあまりにも私に過干渉でした。
    不登校や引きこもりなどに陥るたびに
    『私がわるかったごめんね』
    とメールをくれたりするのですが
    私は気持ち悪いと思ってしまうのです。
    異常だと思いますか?私は、罪悪感もあります。
    しかし、どうしてもそう思ってしまうのです。

    目には見えないけど、自分の不可侵な部分にまで、
    親が介入して来ているような感覚です。

    もちろん、物資的に生活で不自由したことは無く感謝してます。
    そして一概に『毒親』という衝撃的な言葉は用いることは出来ないとも、思います。(強烈なイメージがあるので)

    親子互いに精神的な親離れ、子離れが必要だと自分でとても感じています。
    もう私は20代半ばで、それがあるべき姿なのかなと。

    ここを見てていかにも故意に気分を害するような書き込み等は、
    気になさらないで良いと感じますが、
    おそらくあき様にコメントしてる方が伝えたいのは
    そういうことも考えてあげてよ、ってことも
    あるんじゃないのかなと感じました。(息子様?に対して…)

    私は、自分がしっかり自立した先に、
    親の本当の幸せもあると思ってます。
    (思ってる、わかってるけど直接親には言えるはずもありません
    日常でどうしてもまだ、親に対する嫌悪感、憎悪などが湧きあがる時があり、
    私が自分を癒すのには長い時間もかかると思っています。)

    信仰について書かれていますね。
    私も生まれた時からある信仰の家庭に生まれました。
    母は、信仰を支えに生きてきたのを知っていますし、
    心のよりどころなのだなとも感じます。
    私もそんな母の背中を見て育ってきましたし、祈っても来ました。
    信仰について語り合うのは、日本ではまだまだタブー視されているように思います。こんなにも本人にとっては問題なのに、そういう悩みとかをもっとオープンに話せる社会になると良いなといつも思います。

    生まれた時から何らかの宗教に属している人は、総じてACの割合が高いと思います。私自身そう思います。

    何を信じていいのか分からない。精神が不安定。
    そこに、もっと、もっとと、
    信仰を押し付けられることが
    どれだけ苦痛か、分かってほしい。

    私は精神科の先生に自分の信仰のことも何もかも、ありのままに話せて随分心の整理がつきました。
    親が“今日も活動頑張ってきたよ”等と報告してくる時があります
    私は、私が今こうして引きこもって何もできない状態で
    母がますます信仰活動を頑張っているのだということが分かってるのでほんとに辛いです。

    親の信念や、価値観を、子どもに押し付けるのは良くないと思います。
    (ストレートに書いてしまいました…)
    親の何気ない言葉で、本当に傷つくことがあります。

    親孝行の形も、親と一緒に居ることだけでは無い筈です。
    幸せの形は、人それぞれです。

    気分を害されたらすみません。失礼いたしました。

  11. 神奈川県 あき says:

    ぷるぷりんさん、信頼できる医師にめぐりあえてよかったですね。人それぞれですから。アダルトチルドレンや毒になる親については、興味がないので。
    信仰のことについては、「どうにもならず困ったとき、そこで救われる人もいる。」ということを参考までに書きました。私は熱心な信者ではありませんが、そうなっている人をみると本当にしあわせなんだと感じています。明るくすることが運命を好転すると信じているので、楽しいときも勿論、苦しいときも神の鍛えだと笑って過ごして、何事にもありがたいと言っています。
    私が入信したきっかけは病気ばかりしていて、医者で解決してもらえないからなんだけど、人間って本当に困ってなすすべきがなくなったとき、自殺するか自暴自棄になって事件を起こすか、信仰に向くかのどれかだと思うのですが信仰に向く方がしあわせだと思います。オウムのことがあってから、宗教にいかがわしいイメージがついてしまったけど、本来は人を救うためのものだし、救われている人も大勢いる。
    うちの息子が生まれる以前から信仰をもっていたので、私も息子を連れて行きました。息子は周りの子どもと違う事をさせられていることに、反感をもったのでしょう。もちろん、子供の方も信仰深くなり、礼儀正しく他人に親切に育ったお子さんもたくさんいます。うちの息子は反発してしまいましたが、今、いよいよ、苦しくなったのか「神様}と走り書きしているメモを見つけました。息子は自分なりに試行錯誤をしているけど、本当に苦しくなって最後の最後には信仰に戻ってくるのでないかと思っています。
    私はぷるぷりんさんのおかさんが愛情深く素晴らしい方だと思いました。おかあさんの方から、ごめんねのメールをしている。私も過保護で過干渉の方だと思いました。近所に放任の親がいるけど、批難してたし。親もそのとき、そのときが一生懸命で正しい答えなんてわからないが本音です。だから、息子に謝ったことなんてありません。あなたのおかあさんは下座されていて、すばらしい方だと思いました。この先、もっといろんな経験をされて、いつか、あなたのおかさんが深い愛情をもってあなたを思っていたことがわかる日がくると思います。

  12. 神奈川県 あき says:

    ぷるプリンさんへ「親と距離を保つために、入院を控えています。
    」とありましたが、入院されたのかな?退院されたらどうするのだろう?入院もずっとというわけにもいかないだろうし。今、過疎の村とかで、家賃一万円できてくださいというのがあるけど。親離れするいい機会かもね。「親の信念や、価値観を、子どもに押し付けるのは良くないと思います。」
    とありますが、20歳過ぎた子に押し付けるなんてことできませんよ。親のいうことに耳を傾けませんから。ただ、親は経験があるからどうすると世の中を渡るのに得かを知っているんです。だから、アドバイスをしているんです。それを聞くか聞かないかは、本人の自由です。
    「母がますます信仰活動を頑張っているのだということが分かってるのでほんとに辛いです。」とありますが、おかあさんは信仰を持つことが生きがいだし、幸せなのでそれはほっといてあげてください。おかあさんが信仰を持っていなかった場合、自殺してたかもしれないし、もっと悲惨な結果になっていたかもしれません。おかあさんは信じる事の出来るものを持っていて、幸せなのです。
    世間には子供を殺したり、売春させたり、万引きさせたりする親もいます。けれど、神様を信じている人は、できないはずです。犯罪を犯せば苦しみは自分に帰ってくると教わっているので。そういう意味では宗教が犯罪の抑止力にもなっていると思うんです。けど、一部の宗教は、自分たちの信じる教えに反するものを殺してもいいという過激派もある。この宗教に関しては、間違った宗教と言える。それは指導者が神の名を利用して人を操っているわけで、他人を殺してもいいということは絶対にない。なぜなら、全ての人間が神の子だから。
    そして、私と息子がこの世で親子であると与えられた運命でそのなかで、どうしたらうまくいくのか考えるのが、課題なんだと思う。
    うちは全く口をきいてくれないし、話しかけると舌打ちされるので、同じ家に暮らしながらあいさつ一つしない感じです。夫は反抗期といいますが。心を閉ざしていますし。精神科受診もこちらから言うと大暴れするので、本人がその気になるまで待つしかありません。息子はほぼ一日中、パソコンの前にいます。よくないことだと思うけど本人がそれが、嫌になるまで待つしかないのでしょう。
    うちは、トカネットというNPO法人で親にはカウンセリング、子供にはサポーターの派遣をしている団体にお世話になっているけど、息子はそのことに関して気にしてます。普段はぜんぜん話かけてこないのに、さっきは「トカネットとはどうなっているんだ?」なんて、話かけてきたんです。
    私が息子を分析するには、プライドが高くて他人からの評判を気にしすぎて出れなくなっている感じです。私からすれば、恥のひとつもかいて、世間に慣れていくより仕方ないと思うのですが、そうは簡単にいかないみたいです。だから、祈るより仕方ないんです。いいと思うことはとにかく試してみることだと思うんです。

  13. 神奈川県 ぷるぷりん says:

    あき様

    …お返事を、読みました。
    ありがとうございます。
    ということだけ、とりあえずお伝えしておきます。

    信じることが関わる話題も、自分のことも、
    いろいろと、私自身耐性が無いので、書き込み控えます。
    (書きこんだ後にちょっと後悔しました。真に受けやすく捉われやすい性格で…)
    書きたくないと思う事は、書かなくても良いなと思うので、書きません。

    ですが、とりあえず、このように、思ったことを率直に書き込むことには、 少なからず、意味はあるのだと思います。(どんな人でも。)

    きっと、あき様が一生懸命動いてる姿は、息子さん…?しっかり見てると思います。…あまり、私が口出しをすることでもないと思いますが…。
    人に言われなくても大体こどもは親の姿をしっかり見てるものだとおもいます。
    (…私に関しても同じこと。ここで私と母の親子関係を書いても、
    読む人はそれで全て分かるわけ無いんです。書けないことだってあるし。だからあき様の書き込みに、ちょっと、お節介が過ぎる印象を持たれてしまうのでは…と思います。
    でも、活動的で、行動力のある、ある意味素敵な人だとも思います。)

    あと、ネットは、こうして情報を知るツールにもなるし、
    はまってのめりこむのは確かに良くないかもしれませんが、
    私の場合は、ネットで得たものも、かなり大きいです。
    情報を得たり、悩みを分かち合ったり、
    時としてむしろ外に出るきっかけにもなったり。
    時として切迫している命を救われたり…。
    …使い方次第ですね。。。

    失礼しました。

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