仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える
泉谷閑示
2017年
幻冬舎新書
188ページ

「働くこと」「遊ぶこと」の本来の意味を考える

本書のメインテーマは「生きること」。誰もが一度は考えたことがある「生きる意味」を、おとなのいま、再び考えなおすというものです。「生きる意味」は「考えれば考えるほど底なし沼のように途方もない」と著者の泉谷さんが語っているように、人間が生きるための活動は多岐に渡ります。「生きる意味」の「意味」について考えることから始まり、生きるために必要と言われる「働くこと」、それに「遊ぶこと」、「芸術」……一見、私たちの中で定義付けが済んでいるように思われる言葉の本当の意味を、夏目漱石やニーチェ、エーリッヒ・フロムといった古典の紹介とともに考え抜いています。

「仕事」と「遊び」は現代では切り離されて考えられていますが、本来、人間が赴くままに打ち込める「仕事」と「遊び」は親戚のようなもので、かつ生きていくために不可欠なものです。しかし、産業革命以降、仕事は人間が生産ラインの一部に従事するだけの「労働」に成り下がり、「働くこと」の目的が「食う為」に変節してしまった。その結果、人間の生きがいを奪っている、と書かれています(これが、タイトル「仕事なんか生きがいにするな」が本来意味するところだと思います)。

もっとマクロな視点でいうならば、情報化が進む日本の「消費社会」ぶりは、ますます加速しています。この消費とは、単にお金でものを買う、以上の意味が含まれています。「がんばってがんばって仕事♪ がんばってがんばって遊び♪」と歌う栄養ドリンクのCMが随分前に流行りましたが、現代では「遊ぶ」ことも消費社会のシステムに組み込まれています。遊ぼうと思えば、アミューズメント施設やショッピングセンターが街中にあります。しかし、そのどれもが似たような性格の施設ばかりです。規格化されていくエンターテイメントが本当に「遊ぶ」ための場にふさわしいのか、一度立ち止まって考える必要があるのかもしれません。

本来の「遊び」は、自己表現の場であり、自分の価値を創出する場でもあります。つまり、これが「芸術」を創作したり、鑑賞したりすることに結びつくのですが、そうした「芸術」の領域にも消費社会が介在しています。金銭や時間に余裕のある人々へ、芸術に嗜むステータスをもたらそうと、美術館巡りや伝統芸能の体験ツアーなど、さまざまな宣伝が溢れています。しかし、そこには自己表現としての芸術はありません。消費社会では、人間が人間らしく生きるための活力が奪われてしまうというのです。

本書では明確に示していないことですが、「ひきこもり」状態にある人の中には、こうしたことを鋭敏に察知している人が少なからずいるのではないかと推察されます。「ひきこもり」であろうとなかろうと「生きづらさ」を抱える理由は人それぞれですが、そのひとつとして「「ひきこもり」経験の社会学」(関水徹平著)から挙げると、ひきこもり当事者は社会に対し「不適応な自分」に苦しんでいる一方、社会に順応するよう要請する周囲の圧力に対し「理不尽だ」とも感じており、この両義性が当事者を苦しめている、としています。

本書タイトルの副題「生きる意味を再び考える」という行為は、ひきこもり当事者が日々、七転八倒しながら黙考していることにほかなりません。

そうした葛藤に苦しむ当事者の方にはもちろん、親の方にもお読みいただける一冊です。

【リンク】
講演会】『よかれ』という親ごころ-泉谷閑示先生に訊いてみた。
「「ひきこもり」経験の社会学」を読んでみた。

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