僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない表紙
僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)
岡田斗司夫 FREEex
2014年
PHP新書
219ページ

岡田斗司夫+FREEex?

「僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない」……なんて興味を惹かれるタイトル!この言葉はインパクトを残すだけでなく、本論の最も重要な動機付けとなっているんだ。

まずは著者の岡田斗司夫さんについて少し紹介しておこう。岡田さんはゲーム会社を立ち上げたこともある、異色の社会評論家。現在は大阪芸術大学客員教授の肩書を持っている。オタク文化を社会学的に評価し有名になると、ダイエットに成功しその体験記を本とするなど、話題に事欠かないんだ。

この本は岡田さんの単著……とは言い切れない。岡田さんが中心となって組織している「FREEex」というコミュニティのメンバーも執筆にかかわっており、そのせいか表現に微妙な差異があるようにも感じる。このことは「あとがき」に書いてあるので、まず最後尾から読んで執筆のいきさつを知っておくのがいいね。

消費者は本当に「得」をしているのか

本書は2011年に同志社大学で行った講演会をベースにしたもの。構成はとても分かりやすく「疑問」→「考察」→「提案」という形で進んでいくんだ。そこで、今回は本の流れに沿って内容を確認していくよ。

著者は、就職事情の話を導入に、現代の生きづらさを見つめるところから始めている。労力やコストが甚大な就職活動。もしどこかに会社に入ることができても、多くの人が半年後、遅くても数年以内には苦労して内定をもらった会社を辞めてしまう。
著者はこの状況を「明らかに、何かがズレている」と表現し「この原因を究明し、処方箋を考えるのが本書の目的」とも書いている。

就職活動だけでなく、その先にある「仕事をすること」そのものが閉塞していることについて、著者はさまざまな要因を挙げている。

・仕事の絶対量が減っていること
・企業の寿命の短縮(日本の企業が七年、アメリカの企業が五年)
・業務を人件費の低い海外へ発注し、高利益を生み出すスタイル→新規雇用の規模縮小

こうした要因により「日本の企業は人を雇わなくなっている」と著者は指摘しているね。どういうことかと言うと、AmazonやGoogleといった新進気鋭なグローバル企業の登場により、便利かつ低価格でのサービスが消費者の中に行き渡った。しかし、それを実現しているのは分業によるコストダウン。つまり、人手を減らすための方策なんだ。国内において問屋さんが請け負っていた本の流通は通用しなくなり、専門性が求められていたウェブサイトの制作もいまや無料で、しかも素人でも作れるようなサービスが提供されている。そのためにあらゆる産業の、膨大な雇用が奪われている。IT化は自分たちの生活にあらゆる変革を起こしたけれども、その副産物を見落としてはならないんだね。

「幸福」には高いコストがかかる

さて、著者はここからは社会を眺めるのではなく、我々に対してある問いかけをしてくる。「人生、そんなにお金は必要なのか?」という疑問だ。「食うために」お金を稼ぐというけれども「文字通り」食べるためだけならば、1ヶ月2万円でも過ごすことができる。それなのに多くの人が自分一人を食わせることで精いっぱいだと考えている。「サザエさん」では波平さんとマスオさんの2人が7人家族を養っていた。しかし、それもすっかり日本昔話。なぜだろう?著者は、バブル時代を経たことで日本人の「生活コスト」が上がっていることを指摘している。

人間は本来なら、一カ所に固まって生きるようにできている社会的な生物です。ところが、一人ひとりがバラバラに好きなことをすることが幸せであり、その欲望を叶えることこそが経済的な発展である、という、うまいトリックがたまたまこの期間に作動して、だれもがそれを信じてしまった時代。
それがバブル時代なのです。
すでにバブル的な経済成長は終わっているのに、それでも僕たちは当時の考え方を捨てられないでいます。結果、いまの日本社会では、生活にやたらとコストがかかるようになってしまいました。

著者が挙げている「サザエさん」の例に戻ると、昔は二世帯以上が一緒に住む、いわゆる拡大家族が多かった。それが、いつしか社会に出れば実家を出て一人で暮らしのが、ノーマルな通過儀礼のようになってしまった。それでは、一人ひとりにかかるコストは当然大きくなるよね。バブルが終焉した後も、その生活形態を捨てきれない。生活コストの高騰により、「幸福」のハードルも高くなっている。一人で一生懸命に稼ぎ、あらゆる経費を賄う中でローンを組みマンションや車を買う……。モノという物差しで「人間の価値」が測られてしまい、貧乏であることが肯定されない社会となっているのではないかな。

こうした「常識」が、主に実家で暮らすひきこもりの人たちにプレッシャーをかけている面もあるよね。以前に書評で取り上げた「希望のニート」では、大家族の中で暮らすことを肯定的に取り上げられていたけれど、実は自分たちはもともとそうした暮らしをしてきたはずだったんだね。拡大家族という生活形態は、小津安二郎監督の映画でも描かれているので、興味のある方は図書館等で探してみてね(^O^)

「仕事サーフィン」という働き方

著者は、現代の日本はあらゆる側面が「生きづらさ」の因子となっていると言っている。しかし、固定観念さえ捨てれば、ライフスタイルを変えて楽しく生きることも可能なのではないか、という提案に至る。その一つが「仕事サーフィン」という働き方なんだ。

どういうことかと言うと、「正社員」は基本的には単職だけれど、これを多職へシフトさせる。しかも、仕事の数は10~50がいい、と考えているんだ。江戸時代の「百姓」は農民と同義と考えられがちだけれど、実際は「百の職業を持つ人」という意味なんだって。そういえば、時代劇の百姓は、畑仕事が終われば家の中で傘を作っている気もする……。「百姓」に戻るだけと考えるならば大層なことではない。自分という小さな会社をマネージメントしていけば、食えなくなることも、憂鬱になることもないと書いているんだ。

「仕事サーフィン」といっても、どんなことをするのか?それを実践している具体例は一つしかないのだけど、要するにいろいろな「お手伝いをする」という感覚が大事になる。FREEexのメンバーでもあり「仕事サーフィン」をしているトモカズさんは元々電子楽器のプログラマー。様々な事情から正社員を辞めることになったのだけど、農家をやっている祖父と祖母の手伝いをするようになり、これが楽しいという。しかしそこではお金があまり入らないので、元々の仕事での経験と人脈を生かし、差し障りのない程度でお手伝いをしているという。それを実現しているのは、電子楽器のスキル……「コンテンツ」、人脈……「コミュニティ」、そして彼の性格……「キャラクター」。合わせて「3つのC」と著者が表現している能力が「仕事サーフィン」を可能にすると書いているんだ。

「愛されニート」は誰でもなれるか?

いまの日本は、なぜ生きることに疲れるのか。鋭い洞察からその原因をえぐりだし、とても明快に読み進めることができる。

本書後半の著者による提案では、「可愛げ」「いい人」といった言葉が並ぶ。そうした「内面の見た目」のウケがいい人であれば「仕事サーフィン」ができる。そして、その究極が「愛されニート」と呼ぶものなんだ。これは、仕事はしたくないけれど「いい人」なのを武器に、他人の家に住み着くことだ。もちろん、家主のために家事を行い、たまに稼いだりする。いわゆる「パラサイト」を肯定したライフスタイルとでも言えばいいのかな。

しかし、著者の提唱する「愛されニート」は、ひきこもり当事者にとってハードルが高いものだと自分は思うな。「生きづらさ」を抱える人の中には「可愛げ」「いい人」を演じることに虚しさを感じ、疲れきった人もいる。そして、「ウケがいい」行動を取るのが苦手な人もいる。「仕事サーフィン」に必須だという「3つのC」も、その3つをたどれば、総合して「コミュニケーション」ともいえる……これは「4つ目のC」とも言えるかな。社会での「生きづらさ」を痛感する人々の前には「コミュニケーション」の壁があるにも関わらず、その能力を前提にした生き方を著者は提案している。この点が自分としては気になったな~。

本書は皮肉にも、ひきこもり当事者とそうでない人とのメンタリティの断絶を浮き彫りにしているのかもしれない。しかし「たくさんのお手伝い」という考え方は、仕事に対する固定観念を崩してくれる。硬直しがちな「仕事」や「お金」への意識。それが揉みほぐされていくようでした。

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