ひきこもりだった僕から表紙
「ひきこもり」だった僕から
上山和樹
講談社
238ページ
2001年発行

著書の構成と内容

 中学生からひきこもりはじめ、大学卒業後から30歳近くまではほとんど外に出ることができなかったという著者が語る、自身のひきこもり遍歴と、ひきこもり問題の解決について。それぞれを「これまで(自分へ)」と「いま(いまから)」の2部に大きく分けて書いているよ。

著者のひきこもり遍歴

 包み隠さず、赤裸々に語られる自身の生い立ち。
 勉学で優秀な成績を収めていた中学二年の頃、「教室」を閉鎖空間と感じ、冷や汗が出たり何度もトイレに行ったところから異変がはじまった、と書いているよ。ひきこもる明確なきっかけがあったわけではないみたい。教師からの叱責や、友人からのからかいなど、日常での理不尽な出来事が積み重なってのことかもしれないね。多くの人にとっては取るに足らぬことでも、納得のいかない出来事に敏感な著者には、鬱屈とした思いが蓄積されてしまったのではないかな。。

 留年や父の死を経て大学を卒業したものの、その間に考えていた「労働」への否定的な観念を払拭することができず、世間体を気にしてはじめた塾講師のアルバイトは続かなかった。その後、深酒で気をまぎらわし、自分の存在と社会の隔たりについて、ただひとり悶々と繰り返す日々。

 30歳頃になって、高校中退の関連で過去に知り合った友達から、主催している勉強会に参加しないか、と連絡を受けたのを機に、自身のひきこもり歴については隠しながらも、彼との同居生活と、塾講師のアルバイトを再び始める。そうして自宅を出て生活を始めたものの、まだ苦悩を抱え続けていた著者に、転機となる出来事が起こる。友達に協力して取り組んでいた活動の中に、ひきこもりの子どもをもつ親たちの集まりがあることを知って、そこで当事者であることをカミングアウトしたんだ。話し終えた後、色々な人が「よかった」「もっと聞きたい」と、声をかけてくれたんだって。

まずは労働の関わらない人間関係を

 ひきこもりに対する「甘えでしかない」という意見について、有害性が強烈である、と著者は厳しく反論しているよ。「社会を生き抜くために我慢と忍耐を鍛えろ」というのはナンセンスであり、ひきこもりの人というのは、世間や他人への恐怖心からそういう状態になっている面が多い。その恐怖心をさらにかきたてるのは脅すようなものである、と書いているんだ。特に「労働」と結び付いた形の対人関係には異常なまでに敏感であると述べているよ。

 だから著者は、「まず仕事」ではなく、「まず、お金のからまない人間関係」に身を置いてはどうか、と提案している。ひきこもり当事者に見られる強い「正義感」を共有できる人間関係を体験することが大事だと言っているんだ。それは「親子」の関係ではなく「つながっていきたいと思えるような第三者との出会い」なんだって。ふむふむ。

「お金」、「労働」・・・・・・当事者にしか分からぬ思い

 筆者はひきこもっていた際に自分の「問い」を解決すべく、たくさん読書したようです。それが形となってなのか、独自の論理でひきこもり当事者の状況を言葉にしているので、当事者以外の方にはこの本の理解が少し難しく感じるかもしれないな、とも思う。けれどそうした苦心の思いで突き詰めていった結果「労働」、「お金」、「性的欲求」という、著者ならではの大きなトピックに行き着いているのが、この本のいい特徴なんじゃないかな。当事者は常に色々なことを考えている。それは、労働やお金への恐怖、性的欲求が「社会」という外界でしか満たせないことへの絶望なんだ。

労働というのは、あくまで個人が「社会=公」につながりつつ「生活をつくっていく」ための唯一のチャンスですよね。
それが、「お金」という、公私混同の権化のような存在に牛耳られていて、もうそこからは絶対に逃れられないのです。
生活をつくるためには、自分の正義だとか価値観だとかいう話をいったんフリーズして、目の前の「お金を持っている雇い主」が要求してくる公私混同の活動にあくまで服従せねばならない。
この「服従」ということろに、ものすごい過剰な「他者恐怖」が入りこんできて、どうにも制御不能になってしまう。

 こうした当事者や経験者でしか分からない思いを、著者は実名を出してまでの覚悟で切々と書きつづってくれている。本来ならひきこもりの体験を思い出して書き連ねるというのは、とても辛い作業のはず。それを乗り越え、ひきこもり理解への一助とするために出版までこぎつけた著者の強い気持ちには、例えひきこもりでない人でも共感できるものがあると思うよ。

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