すらすら読める方丈記表紙 すらすら読める方丈記 (講談社文庫)

鴨長明 (現代語訳・解説)中野孝次 2012年 講談社文庫 219ページ

方丈記ってどんなことが書いてあるの?

皆さんこんにちは!こゆるぎです。ひさ~しぶりに書評を書いてみたよ。今回選んだのは、なんと日本の古典作品、鴨長明「方丈記」(^O^) 古典といっても、それほど文量がなくてとても読みやすいんだ! 作者名も作品名も知っている方は多いと思いますが、まずは鴨長明と「方丈記」が書かれた時代を簡単に説明するね。

鴨長明は1155年ごろに生まれたと言われる、鎌倉時代の歌人・随筆家。現在は世界遺産にも登録されている京都・下鴨神社の生まれで、相当な財産を継いで30歳まで暮らしていた。しかし、長明は神職にはげむどころか、和歌や音楽の道へ本格的に打ち込んでしまい、半ば追われるように家を出ることになった。その後は得意な歌で和歌所に採用され生活していたが、50歳で世の中に見切りをつけ、移動式の小さな家を建築。この小さな「方丈庵」にて気ままな暮らしをする中で「方丈記」を執筆し、60歳くらいまで生きたと言われている。

さて、そんな鴨長明が晩年に書いた「方丈記」の内容はというと、上にあるような自叙伝とともに、平安から鎌倉時代にかけて起きた社会問題を写実しているんだ。そこでは、大火や大飢饉といった大きな災害を描いたかと思えば、お金や身分のために身を削る市井の人々にも目を向けている。こうして世間の道理を観察してみると、長明自身が、この世の中に生きづらさを感じていることに気付く。 その後の長明は、名誉や人付き合いを捨てて「方丈庵」で気ままに放浪する生き方を選ぶのだけど、流れに身を任せる生き方をこんな風に表わしているよ。

>ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。 (河は絶え間なく流れ、つねに新しい水が流れている……泡もまた出来ては消え、消えては新しく生まれるが……それは人間とその住居と似たようなものか。)

これは「方丈記」の有名な出だしなんだけど、河の流れを人生に例えることで、それが本来の人間の生き方ではないか、ということを示しているようだね!そしてこの哲学には、生きづらい世の中で生きていくための、長明ならではの人生観がこめられているんだ。後半では、中野孝次著「すらすら読める方丈記」の現代語訳・解説をもとに、現代社会にも通ずる長明の思想を読み解いていくよ!

生きづらい世の中で中途半端な生き方を肯定する

ここまで読んでくれた方は、もしかしたら鴨長明は出家して立派なお坊さんになったのではないか?と思っているかもしれない。世の中に無情を感じ、贅沢な生活を捨てて清貧であることをよしとし、死ぬまで仏につかえる……。 たしかに長明は世を捨てるときに出家したのだけれど、ところがどっこい、長明はそんな立派な理由で遁世したわけではない、と著者の中野孝次は考えているよ。

>そもそも長明が出家遁世したのは、現世の無情を感じて発心したとか、仏道修行を志したとか、そんな宗教的な理由によってではない。一言でいえば、世の中の生きにくさにまいってしまったあげく、世を逃げだし、山中に独居したのだ。

元々が神職にありながらその職務にはいい加減で、音楽や和歌を楽しんでいた長明。この時代は法然が広めた仏教が庶民の人気を博したけれど、長明はこれにも深入りせず、出家後も相変わらず自分の好きなことをマイペースに楽しんでいたんだ。趣味を捨てきれず、それでいて仏道にもひかれる。そのためには、シビアな世界からドロップアウトすることだっていとわない。そうした「中途半端な生き方」を肯定しているんだね。

しかし、彼がこうした哲学に至るまでには社会との間で強い葛藤があったこともうかがえる。

>いきほひあるものは貪欲ふかく、独身なるものは、人にかろめらる。財あれば、おそれ多く、貧しければ、うらみ切なり。人を頼めば、身、他の有なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。 (総じてこの世では、富あり権勢ある者は欲が深く、頼るべき者もなく孤立している者は人に軽んじられる。財産があれば失いはすまいかとして心配事が多いし、貧乏ならば恨み心が強い。人を頼りにすれば、自由を失って、この身は他人に所有されたも同然になる。人を慈しんで世話すれば、心は恩愛の妄執にとらわれる。世のしきたりに従えばこの身が苦しい。従わなければ狂人と見られよう。どんな所に住み、どんなことをしていたら、この短い人生をしばらくも安らかに生き、少しのあいだでも心を休めることができようか。)

「世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり」――。800年前の描写にもかかわらず、まるで今の世の中を鏡に写したようだね。だからこそ、長明が体験した心細さやわずらわしさ、そして切なる願いはいまを生きるぼくたちにも響いて読み継がれているのではないかな。

今回参考にした「すらすら読める方丈記」以外にも「方丈記」を現代語訳・解説した本はたくさん出ているよ。古典には、いとおかしく生活するヒントがたくさんあるのかもしれないな~。(覚えたての古語を誤用覚悟で使うこゆるぎでした)

【リンク】 【読んでみた】ライ麦畑でつかまえて

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