「存在論的ひきこもり」論―わたしは「私」のために引きこもる
「存在論的ひきこもり」論―わたしは「私」のために引きこもる
芹沢俊介
雲母書房
初版:2010年
267ページ

間違って浸透した「社会的ひきこもり」

 まず本書のタイトルである「存在論的ひきこもり」という言葉を理解していくためには、それと対極にある「社会的ひきこもり」という言葉を知っておくことが必要になるよ。

 「社会的ひきこもり」というのは、一言でいえば「否定的なまなざしを根底に組み込んだひきこもり理解のこと」。ひきこもりは社会的秩序を遵守できない存在であり、また、精神科医によって治療の対象となる、といった見方だ。こうした否定的なまなざしが精神科や支援事業などの「ひきこもり」産業を生み、当事者不在の間違った「ひきこもり」対策がなされている、と著者は書いている。

 本書全体で分析する方向性について、著者は次のように述べているよ。

「社会的ひきこもり」観を根底において成立させているのが、否定性であること、あるいは否定的まなざし、否定的な対応であることをいくつかの角度から明らかにすること。
肯定的まなざしにもとづいた「存在論的ひきこもり」論の提示。
否定的な対応、否定的なまなざしの具体的な場面における行使が、どのような事態をもたらすことになるのかということについて、具体例に即して分析すること。

「存在論的ひきこもり」とは

 一般的なひきこもりのイメージとして語られる「社会的ひきこもり」について語ってから、本題である「存在論的ひきこもり」についての持論が展開されてるよ。
 「存在論的ひきこもり」の定義は、以下の通り。

①引きこもることは、本人にとって切実な意味と動機をもった一連の行為、すなわちプロセスのある出来事であるということ。

②それゆえ、引きこもるという行為はそれがなくては本人が本人でなくなってしまう、そのような経験であるということ。

③したがって、引きこもるという経験は、本人の人生上の一時期を構成する不可避的、ないし必然的な一コマとして位置づけられること。

④それゆえ、引きこもることは捨てるべき不毛な否定的経験などではなく、逆に人生の次のステップへ進むための大切な基盤となりうるということ。

 著者はこの定義のために、「ある自己」「する自己」という自己の二重性についても説明しているよ。

 「する自己」とは、その人の社会的な能力、役割としての自分と結び付いたもので、「ある自己」とは、文字通りあるがままの自分、すなわち「存在論的な」自己のことなんだ。「ある自己(存在論的自己)」は、「する自己」の基底にあるもので、人間は一般に赤ちゃんや子どもの時には「ある自己」であるだけで価値があり、可愛がられる。

 しかし、時を経て学校を卒業したり社会人となると、社会的な尺度の「する自己」によって価値を図られるようになる。そして、老人となると社会的な役割が減少し「する自己」が縮小。「ある自己」としての存在が対照的に強まる、といった感じ。

 何だかちょっと難しい話だけれど・・・こうした「自己」の自然プロセスは、ひきこもることにも生じていると考えることが出来るようだよ。ひきこもりの人は「する自己」が後退し、「ある自己」が露出している、という見方だ。社会は「する自己」を人間の価値と見る傾向が強いため、「する自己」の後退したひきこもりに対し、老人へのそれと同じように見る・・・これがまさに「社会的ひきこもり」という、ひきこもりへの否定的なまなざし、となるみたい。

 「ある自己」と「する自己」の関係性から見れば老人とひきこもりがまるで近い存在にも見えるけど、ひきこもりは老人とは違って、傷付いた「ある自己」を修復するための滞在期である、と筆者は述べているよ。「ある自己」の損傷修復とは、「ある自己」を成り立たせていた内なる「環境と他者」への信頼を修復することなんだって。ふむふむ。

引きこもる若者たちをとりまく現況

 著者は現代のフリーターやニートの増加について、食べることだけを目的とした労働の時代が終わり、消費社会の時代に入ったためではないか、と書いている。こうした状況の中、日本でニートという概念形成に参加した人たちの行ったことは、フリーター批判、ニート批判を通して、若者たちの「労働意欲」をあぶり出し、社会防衛上の危機的事態として問題化することであった、と著者は痛烈に批判しているよ。

 著者と顔見知りになったひきこもりの若者は、こう述べている。

ニートという言葉でメディアや識者が語りかけてくるようになって以来、一段と「社会復帰」をせかされる感じが強まって、ますます引きこもりたくなる。そういう自分と闘うのが大変だ。

「ひきこもり」への違った視点を

 著者は肯定的にひきこもりを見る目として、「存在論的ひきこもり」を展開した。それは、ひきこもるという行為は人間の本来的な行動に基づいているというものだ。社会の側が、否定的なまなざしによる「社会的ひきこもり」の視点に準じて「脱ひきこもり」を要請する限り、ひきこもりの根本的な問題解決は難しいのかもしれない。既成の解釈にとらわれることなく、当事者の思考や欲求に基づいたひきこもり理解が、求められる段階にきているんじゃないかなーと思ったんだ。

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