アイムヒアプロジェクト外観
「アイムヒア プロジェクト」。
ヒビが入っている壁の向こう側に当事者から募集した部屋写真が展示されている。

2019年2月16日から24日にかけて「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 “まなざしについて” (横浜市中区黄金町 高架下スタジオSite-Aギャラリー)が開催されます。このプロジェクトでは、インターネットを通じてひきこもり当事者自身が撮影した部屋の写真を募集。約40名から160枚ほども集まったという写真を編集し、アート写真集として出版します。

今回、このプロジェクトを主催した現代美術家の渡辺篤さんに、制作中のスタジオにお邪魔し出版記念展を前に話を聞きました。

自身も深刻なひきこもり状態にあったという渡辺さんは、その経験をもとに数々の美術作品を作ってきました。

前編では、大学での出来事、卒業後に深刻を極めたひきこもり生活、そこから抜け出した経緯や親子関係などについて掲載しました。

※インタビュー記事【後編】はこちら。
https://hkst.gr.jp/interview/17625/

制作スタジオの外観

大学を休学し「個としての自分」を見つめ直した

制作スタジオ前で撮影した渡辺篤さん
渡辺篤さん(制作スタジオ前にて)

――渡辺さんは4年間の浪人を経て東京藝術大学に入学しました。そのころの出来事についてお聞かせください。
僕は東京藝術大学に大学、大学院、研究生として9年間通っていましたが、入学した当時の倍率が40倍。同期には僕も含めて四浪した学生がもっとも多かったです。そのせいかお互いを信用しない殺伐とした雰囲気があり、3年生の途中からうつ病にかかって2年間休学しました。大学に行きたくなくて仕方なかったですね。うつ病は、その後ひきこもる期間も含めて10年近く続きます。

――大学生活で特に印象に残っている出来事はありますか。
休学するまでの僕の表現は、非常に優等生的でした。そのころは「普通」という言葉が口癖でした。同級生と議論をするときに「だって普通○○じゃん」というふうに使っていました。「普通」という言葉によって自分の論理を補強していたのですが、そのことに休学したときに気付きました。大学を休むような人がほとんどいない中、うつ病を患い休学することで初めてマイノリティの感覚をもちました。マイノリティのことを考えなかった人間がマイノリティになり、学ぶことはたくさんありましたね。それ以来「普通」という言葉をほぼ使わなくなりました。

――そこから復調して、4年生のときに卒業制作をするわけですね。
休学を経て再出発するときに「個としての自分」を考えるようになりました。「個としての自分」には、生物的な意味合いだけでなく、政治や歴史などあらゆる側面が内包されていますが、自分の場合は家族が新興宗教に入っているということが大きなテーマになりました。これを作品のモチーフにするために様々なリサーチをしましたが、「個としての自分」を再認識できたのでいい経験だったと思います。
今回の「アイムヒア プロジェクト」で、当事者が部屋の撮影によって自分を客観的に見ることができたように、僕もこのときに自分自身を外から眺めて解体していました。これで「普通」を手放すことができたのだと思います。

――卒業制作は、その宗教の代表者の巨大な肖像画でした。
僕の家は、父方の親族がその宗教の熱心な信者で、母方は世間と同じく関心がありませんでした。信者向けの媒体では代表者の肖像写真がレタッチされて神々しくなっているのですが、週刊誌などに掲載されている写真はそうではありません。そこで、この両方の写真を合成して描くことが、信仰を相対的に表すことだと考えました。卒業制作によって、自分の置かれている状態を客観的に見ることができました。

――卒業制作の作品は、週刊誌にも掲載されるなど反響があったそうですね。
あの作品では、自分という「個」を社会に向けて発信しています。第三者のふりをして、週刊誌などに「あそこに面白い絵があるから取材しなさい」と広報活動もしました(笑)当時から物を作るだけでなく、広報のあり方も大事に考えていました。

――ご両親も展示は見に来ましたか。
母は見に来ましたが、作品の感想は……何もなかったです(笑)
父は見に来ていません。会話そのものが不可能です。うつ病になったときは学校のストレスも一因でしたが、どの精神科医にも父との関係を指摘されていました。

深刻を極めたひきこもり生活

ひきこもっていたときの部屋
ひきこもりを止めた日に撮影した部屋の写真。
床や棚には尿が入ったペットボトルが写り込んでいる。

――大学と大学院、そして研究生として9年在籍して2010年に卒業。その後ひきこもるようになったのでしょうか。
卒業してから半年後くらいからですね。それから足掛け3年ほどひきこもることになります。
ほとんど部屋を出ず、深夜に台所を漁って食事をしているような状態でした。水分を取るために水道水の入ったペットボトルを30本置いていましたが、水を飲み切るとそこにおしっこを出していました。
今回の展示では160数枚の写真をいただいたのですが、部屋の異様さとしてはトップ3に入るかもしれません。

――部屋ではどのように過ごしていましたか。
ほとんどベッドに寝ている生活で、自分で自分を殺すような感覚でした。
携帯電話をへし折り、SNSのアカウントも削除してメールも返信しない。そうやって外とのつながりを遮断していました。
それから「青空を見たくない」という理由からカーテンもずっと閉めていました。青空は、社会の側にいる強者たちが生産活動を高める環境だと思っていました。それにより、本来誰のものでもないはずの空が向こう側の手に渡ってしまうような気がしていました。
また、依存症といっても過言ではないレベルでインターネットに没入しました。当時はニコニコ動画が流行していて、偽名を使って絵師として活動したり、ほかの主(ぬし)の生放送を見たりしていました。
印象に残っているのは、みなとみらいの花火大会を生放送してくれる主がいたことです。ひきこもってはいたけれども、花火大会に行きたいと思っていたから嬉しかったですね。これも「画面」という媒介があるから見られたのかもしれません。

――SNSのアカウントを削除しながらも、ニコニコ動画に参加できたのはどうしてですか。
ニコニコ動画は、放送主という主役のもとに何十万という無名の人たちが24時間コメントを寄せています。そういう大きなコミュニティで「個」を没入させることができたからです。
ある日、ニコニコ動画を見ていたら「海の日から外に出ていない」というコメントが流れました。「そういえば、自分も海の日から外に出ていない」という気持ちになりました。そのときに「自分もここにいる人たちと同じようにひきこもりなんだ」と気付きました。「ひきこもり」という言葉すら僕の近くにはなかったので、それまでは自身がひきこもりだと考えていませんでした。

扉を蹴破って知った母の気持ち

自室から出てきたときの渡辺篤さん
ひきこもりを止める覚悟を決めた日に自身を撮影

――ひきこもり状態から抜けるきっかけとなるような出来事はありましたか。
部屋にひきこもる生活を7ヵ月以上続けていたのですが、一緒に住んでいる母が一向に介入してきませんでした。外で抱えた孤立感や排除のために部屋にズルズルとひきこもり、痛みを抱えた人間がここにいるにもかかわらず扉をノックすらしてきません。今考えるととてもおこがましいとは思いますが、ふて寝しながらも背中は向こうを向いていたのです。そして、ついに怒りが爆発して母がいる居間の扉を足で蹴破りました。「扉というのは、開けようと思えば開けられるんだ」という意思を示したのです。もう家庭内暴力そのものでしたね。

その後、父との間でトラブルになりました。父には僕のロジックが理解できず、警察を呼んで僕を連れて行ってもらおうと思ったようです。しかし、父は僕のことにまったく興味がないので、名前以外に僕の情報を警察に言えません。それくらい子どもの頃からコミュニケーション不全の状態が続いてきました。

――お母さまとは何か会話をしましたか。
扉を蹴破ったとき、ひきこもりの専門書が積み上げられていたのが目に入りました。それを見て、母は無抵抗で、気力が沸かなかったのだということに気付きました。母の弱さを知った僕は母を救いたいと思い、ひきこもりを止めることになりました。母も父との関係に疲弊していましたから、それからは母に寄り添って相談を聞くようになりました。
当時、父は僕を暴力的な支援団体に預けたいと考えていたようでした。そこで、僕自身も父の支配から逃れるため、心療内科のストレスケア病棟に3ヵ月入院して体裁を取り繕いました。
僕のひきこもり生活は母の愛情確認のためであり、そして話が通じない父への怒りの体現でもあったと思います。

――「ひき☆スタ」にも、親との関係で悩む投稿がとても多いです。
僕自身が「普通」という言葉を口癖にしていたように、日本社会は「普通」という概念が蔓延しているのだと思います。別の民族が非常に少ない国なので、他所の文化や思想が混ざらないですよね。そうすると美意識の「美」がどんどん固定化されているのだと思います。それはテレビドラマを見ていてもよくわかります。
「子どもはかくあるべき」「親はかくあるべき」という美意識にとらわれているから、そこから逸脱したことへの嫌悪感が拭えないのだと思います。

ただ、ここ1、2年は社会が変わってきていると感じます。ルールを守れない状態の人にルールを押し付けるのではなく、その人ができることが何なのかを一緒に考えるようになりました。不登校やいじめの根底には美意識やルールによる差別化があると思うのですが、そのことへの反省が見られるようになりましたね。

後編では、ひきこもり後の居場所や、「アイムヒア プロジェクト」に込めた思い、さらに「ひきこもりと表現」などについて伺います。
https://hkst.gr.jp/interview/17625/

プロフィール

プロフィール画像



渡辺 篤 | Atsushi Watanabe
現代美術家。東京藝術大学在学中から、直接的/間接的な経験を根幹とする、新興宗教・経済格差・ホームレス・アニマルライツ・精神疾患・セクシャルマイノリティなどの、社会からタブーや穢れとして扱われうる要素を持った様々な問題やそれにまつわる状況を批評的に取り扱ってきた。近年は、不可視の社会問題でもあり、また自身も元当事者である「ひきこもり」の経験を基点に、心の傷を持った者たちと協働するインターネットを介したプロジェクトを多数実施。そこでは、当事者性と他者性、共感の可能性と不可能性、社会包摂の在り方についてなど、社会/文化/ 福祉/心理のテーマにも及ぶ取り組みを行う。社会問題に対してアートが物理的・ 精神的に介入し、解決に向けた直接的な作用を及ぼす可能性を追求している。主な個展は「わたしの傷/あなたの傷」(六本木ヒルズA/Dギャラリー、東京、2017年)、「止まった部屋 動き出した家」(NANJO HOUSE、東京、2014年)など。 2018年度「クリエイティブ・インクルージョン活動助成」(アーツコミッション・ ヨコハマ)に採択。作品発表以外では、当事者経験や表現者としての視点を活かし、「ハートネットTV」(NHK Eテレ、2018-2019年)などのテレビ出演や、雑誌・新聞・ウェブへの執筆多数。アートのジャンル内外でのレクチャーも行う。
「渡辺篤ウェブサイト」:https://www.atsushi-watanabe.jp/
「アイムヒア プロジェクト ウェブサイト」:https://www.iamhere-project.org/

「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 “まなざしについて”
会場:高架下スタジオSite-Aギャラリー
会期:2019年2月16日(土)~24日(日)
※会期中は無休
時間:11:00~19:00
入場料:無料 ※一部有料イベント有り
詳細はこちら https://www.iamhere-project.org/photobook-exhibiton/

リンク
ひきこもり経験を表現する現代美術家・渡辺篤さんインタビュー【後編】

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