宮本亜門氏

日本を代表する演出家であり、KAAT神奈川芸術劇場(神奈川県横浜市中区山下町281)の芸術監督も務めていらっしゃる宮本亜門さん。テレビやCMでご存知の方も多いかもしれませんが、実はひきこもり経験者でもあります。

高校時代のひきこもり経験を著書「ALIVE」(2001年、NHK出版)をはじめ、各所でオープンに語っています。(「ALIVE -僕が生きる意味を見つけるまで-読んでみた。」

ひき☆スタでは、「きれい事で終わらないインタビューを」といったサイト利用者の思いを携え、宮本さんの本音を引き出そうとお話を聞いてきました。

前回のインタビューでは自身のひきこもり体験について、そしてその体験をオープンに話すことでひきこもりへの偏見をなくしたい、というお話でした。今回はシリーズ第2弾です!

2.-宮本亜門が考える「働くということ」-

ひきこもり当事者の心に重くのしかかる「働くこと」。「お金」や「仕事」や「社会」といったことに、どうやって向き合えばよいのでしょうか。実は、宮本さんも同じ思いでひきこもっていたそうです。

現在、プロフェッショナルの演出家として著名な宮本さんですが、「仕事と思っていない」と話しているように「働くこと=仕事」ではない、ちょっと変わった考え方をしています。演劇という「仕事」、喫茶店を営んでいた実家での出来事、そして高校生の時にひきこもる原因となった社会との葛藤…。自身の様々な経験から「働くこと」について語っていただきました。

◆職業の見方は人それぞれ

――今回、「ひき☆スタ」で運営しているツイッターで宮本さんへの質問を募集したところ、「どうして演出家のお仕事をずっと続けることができるのですか?」という内容がありました。

ぼくは、仕事をすることが、働くことだと思っていないからだと思います。 「仕事=生計を維持するために一定の職に就いて働く」って思われてますよね。でも、そういう意識がぼくには全くと言っていいほど、無いんです。

例えば、演劇にもいろいろなジャンルがあります。ぼくは演劇界の中でも「亜門さんは変わっていて、何を考えているか分からない」と、言われ続けてきました。それは、セリフ劇を演出したり、次にはミュージカル、そしてオペラ、歌舞伎、しまいにはアート展をやって、テレビに出て笑ったりするから。「あなたはいったい何がしたいの?」って、言いたくなる気持ちもわかりますよね。だって人を判断するとき「〇〇をやる人」と一つに決めてもらった方が、何かと便利で、安心できるから。でもぼくは、定職につくとか、一つにやり方を絞ったり、同じことを繰り返すことに全く興味が湧かないのです。それに「一つで我慢しなきゃ」なんて考えても、ワクワクしない。つまり、ぼくはいつも心躍ることを考えていたいために、仕事をしているのです。

それは「演出家」という職業だから、というわけではありません。どんなことにも言えると思っています。例えば、喫茶店でウエイターとして働く場合、「お客さんにサービスをしなければいけない」と思っていると、息が詰まってしまう。でも、サービスして相手を喜ばせたいとか、もっといい気持ちにさせたい、笑わせたい、また変わったアイデアで驚かせたいとか、そういう風に「〜でなければならない」ではなく、自分の人生を楽しくしたいからであれば、もっと働きたくなる。

舞台金閣寺

<『金閣寺』=2011年、KAAT神奈川芸術劇場 撮影=阿部章仁>

もし朝起きて「ああ、今日も〜しなければ」なんて思ったら、誰だって9時から6時まで、喫茶店でウエイターをすること自体が苦しくなるし、次の日が来るのも嫌になる。しまいには全てが、辛く感じて続かなくなってしまう。「仕事=生計のため定職に就いて働く」と決めつけ、そこに縛られ、苦しむか。それとも、そう決めつけずに、いかに楽しく働くか。そんな視点の違いが、その人の働くことへの意欲を無くすか、湧かせるかの境目だと思うのです。

なぜ喫茶店を例に出したかというと、ぼくの母が喫茶店を営んでいたからです。今は亡き母は、毎朝、店に早く出勤すると、お客さんひとりひとりに対して、とても丁寧に温かく対応して、声をかけていました。もちろん、そんな母の対応にお客さんたちも実にうれしそうでした。しかし家に帰って母は、疲れでバタッと倒れます。でも、そこまで頑張る母の姿がぼくには憧れとなりました。疲れきっても、一度しかない人生を、存分に生きている。そう思えるくらい、仕事の時の母は本当に楽しそうだったからです。

実は、母は長いこと肝硬変を患っていたということもあって、いつ死ぬか分からない状態が続いていました。それでも負けずに、仕事を続け、一日一日を大切に、何事も楽しくやっている母を見てぼくは「かっこいい!生きてるって凄い!」と感じたのです。体が丈夫じゃなくても、人に勇気を与えたり、元気をつけたりすることができるんだと。仕事を、存分に楽しく生きるための道具にしている母を見て、感動したのです。

◆職業にこだわらず、常に生き生きワクワクしていたい!

もちろん、舞台の演出家がみんなぼくのような発想をしているかというとそうではありません。演出することを「仕事」と思っている方も山のようにいます。でも、ぼくの場合、演出は自分が好きでやっている仕事だから「みんなをまとめなきゃいけない」と思ってやったりはしません。何事においても「この職業だから、こうしなきゃ」って発想は、もうやめたのです。実はぼくはたくさん失敗をしました。演出家らしくとか、この仕事だからと力んだり、リーダーとして頑張ったり、自分らしくないのに、無理に偉ぶったり。でも、全てが失敗でした。

そんなことをしても、相手も嫌な気分になるし、なにより自分に無理して嘘をついているような自分が、たまらなく嫌になったのです。これでは楽しめるものも楽しめません。

そんな経験から、少しずつわかってきたのは、「仕事っていうのはこういうものだ」と言われる定義以上に、自分の情熱やワクワクが伝わっていけば、結果的に人だってお金だって自然に付いてくるってことです。ぼくの言っていることは理想論に聞こえるかもしれないけど、そう思い続けて、今も楽しく仕事をさせてもらっている。だから、そう的外れではないと思いますよ。

ぼくはこれまでに受けたどのインタビューでも「死ぬまで演劇をやりたい」と言ったことはありませんし、むしろ大声で「いつ転職してもいい」と、言っています(笑)。興味が向いたら、それがどんな小さい喫茶店でもいいし、何でも自分が好きにできるものだったらぜひ、やりたい。ただ今の自分には、演出をすること以上に面白いものが、まだ見つかっていないだけなのだと思います。単純に、自分にだけは、嘘はつけないものです。時には周りに迷惑もかけることがあるかもしれないけど、正直に、とことんのめり込んで、いつも七転八倒しながら次の目標に向かって楽しんで進むんです。その目標が、ひとつひとつ訪れる険しい崖だとしても、その度に「よーし、今度はこの壁を越えるのか」と、乗り越えらえた時の感動を想像しながら、登っていく、そんな感じなんです。

人はそれぞれカラーが違う。だから、その人に合った仕事と合わない仕事があると思います。そういう意味でも、ぼくは今こうやって演出をやらせてもらってうれしいし、偶然今の自分に合っている「仕事」と出会えて幸せです。といっても「この仕事だから」というよりは、常に生き生きワクワクいたいために、人と出会ったりとか演出したりとかしていることが、自分に今は合っているわけです。

話は少しそれますが、役者、それにスタッフも「ひきこもり」の性質を持った人が多くいます。一般で言うところの、バランスが偏っている人なのかもしれませんが、そういう人ほどぼくは強い魅力を感じます。だって人は、自分の足りない部分を自力で補おうとするからです。つまり、そういうバランスの偏りのエネルギーが作用して、すごい演技が引き出されたり、舞台で輝いたり、いままでにないアイデアを出してくれるからです。人は誰でも大きな可能性を秘めていて、ただ得意不得意や、凹凸はある、それこそがその人のカラーとして引き出されれば輝くと思うんです。

舞台太平洋序曲

<『太平洋序曲』=2011年、KAAT神奈川芸術劇場 撮影=阿部章仁>

◆社会や仕事で必死になるために生まれたわけじゃない

――就労について切実に悩んでいる方が多くいらっしゃいます。中には「お金がないと生きていけない」という、ギリギリのところでの苦しみが大きくなっている方がいる一方で、就労訓練などの支援を受けて「稼げればいいのか」という、お金と仕事をめぐる葛藤が当事者の中にあるようです。

よく「仕事をして、お金が手に入ることで、周りから認められる」と思っている方がいますよね。ぼくは、そう思えません。卵と鶏どっちが先か、ではないですが、順番が違う気がするからです。

確かに、お金は誰でもあったにこしたことはない。でも、本来、仕事をするのは、お金そのものが目的ではなくて、何かしたいことがあって、それが人に影響し、ついには周りに認められ、お金が集まってくるのだと思うのです。だから「仕事をしてお金をもらい、社会的に認めてもらうためにお金がほしい」ではなく、「まず自分が何をしたいか、自分が何に情熱をもっているのか」が大切になると思います。

――「仕事をしてお金をもらい、社会的に認めてもらうということを重要には思っていない」。もう少し、その点についてくわしく聞かせていただけますか?

先ほども少し言いましたが、ぼくにとって「お金とは、あとから付いてくる」と、考えているのです。

実は、ぼくがひきこもった理由の一つにお金のことがありました。高校性の時は、お金を持っている人が偉く思われ、社会で認められているという風潮がとても嫌だったし、それに、ぼく自身が大金持ちになるはずがないと思っていたし、どこか心の奥で『社会やお金で必死になるためにぼくは生まれたわけじゃない』と反発したい気持ちがあって、ひきこもったのです。でも、言い換えれば、これもお金と社会について振り回された結果だったわけです。

ひきこもっていたころは、日が増すにつれ、本当に怖かったですね。「もう一生仕事ができない、生活もできない。誰からも本当に認められない、自分は社会から外れた頭がおかしい人間だ」と本気で思うようになりました。真剣に考えても考えても、答えが見つからず、自分は社会から見放されたと、持ち前の反発精神すらすたれて自暴自棄になっていったのです。

でも、しばらくしてからレコードで音楽を聞いていた時、心から音楽に没頭して、感動して喜んでいる自分がいたのです。これは最高の時間でした。考え過ぎていた自分が無心になれたのだから。でもレコードが止まったら、また現実に戻されて、社会の中で疎外感を味わいながら生きている自分に、不安と恐怖を抱き、泣くんです。「ぼくはどうせ社会でやっていけない、もっとおかしくなるしかない、こんな自分は生きていても意味がない」ってね。

感情が波のように上下し、大きく繰り返していました。でもあの時、音楽を聞いて喜んでいた時のぼくは、自分にとって、まぎれもない本物の自分だったのです。音楽を聞きながら、リズムやメロディーに身をまかせ、全身で喜び、笑顔になりながら、汗をかくほど興奮している自分は、見せかけではない本来の自分だったのです。 そうした体験があったから、ぼくは、今も人の喜びや興奮といった感情を表現する演出という仕事をやらせてもらっているのです。

先ほどの質問のお話を聞いていると、心が苦しそうですよね。お金とか仕事とか社会に縛られ、そこに適応して自分はどう生きていけばいいのかわからなくなる。ぼくもそうでしたが、そういうことばかり考えすぎると、自分には力も価値もなく、何もできないような気持ちになってしまうもの。そして、もっとひきこもりたくなる。いくらどんな形で働いていけばいいのかと悩んでも、すぐに答えは見つからない。その状況では、ひきこもることは仕方ないこと、言い換えれば、自分をリセットするための時間なのだとぼくは思います。

でも「ひきこもれた」ということは、自分が望めば、そこから「出ることもできる」ことでもあるのです。それに、今は多くの人がひきこもっている時代。そんな同士が出会って、話せたら、お互いひきこもった経験も持っている分だけ、気持ちもわかり合えるのではないでしょうか。だから、ぼくもこうして、いろいろな人たちと仕事ができているのかもしれません。

(今回の取材は、ひきこもり経験者を含むスタッフ4名で行いました)

宮本亜門氏

宮本亜門 (みやもと・あもん)

演出家

1958年生まれ、東京都出身。 1987年演出家デビュー作「アイ・ガット・マーマン」で文化庁芸術祭賞を受賞。2004年NYブロードウェイで東洋人初の演出家として手がけた「太平洋序曲」が、トニー賞4部門にノミネートされる。

2011年KAATのこけら落としとして、三島由紀夫原作の「金閣寺」を舞台化し、NYリンカーン・センター・フェスティバルに招へいされた。2013年は5月ミュージカル「スウィーニー・トッド」、オペラ「TEA」(バンクーバー)、8月彫刻家イサムノグチを題材とした舞台「イサム」、移動型ミュージカル「ピノキオ」、初めて手がける歌舞伎「はなさかじいさん」の演出。9月にはオペラ演出では初となる欧州進出で、オペラ「魔笛」をオーストリア・リンツの新歌劇場で上演するなど、国際的な活動も目白押し。

近著に「引きだす力〜奉仕型リーダーが才能を伸ばす」(NHK出版)。 12年「メガネベストドレッサー賞」(文化人部門)受賞。 2010年4月よりKAAT神奈川芸術劇場・芸術監督。

宮本亜門演出『耳なし芳一』 2013年4月13日からKAAT神奈川芸術劇場にて上演。 http://www.kaat.jp/pf/miminashi2013.html(リンク切れ)

舞台耳なし芳一

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