皆さんこんにちは!星こゆるぎです。
今回は、同人誌を作りながら自身も映画評を執筆されているひきこもり当事者/経験者のわさびさんに、おすすめの映画を2本ご紹介いただきました!
さあ、どんな映画を紹介したものか。それが問題なのである。
私は日頃、どちらかというとシリアスで物悲しい内容の、ミニシアター系と呼ばれるような洋画を好んで観る傾向にある。もともと陰気な性格をしているので、陰気な世界を眺めていると落ち着くのだ。だが、果たしてそういう映画をこのひきスタで紹介して良いものだろうか? むろん、良いわけないんである。ただでさえ我々ひきこもりには、普段からシリアスで物悲しい毎日を送っている苦労人が多いというのに、そんな景気の悪い映画なんか薦めて追い打ちをかけるような不人情な真似は、厳に慎まねばならない。
しかし、それなら明るく楽しい映画を紹介すれば良いのかというと、これも案外考え物だったりする。何と言っても、ひきこもりの生活はとかく過酷なものになりがちなのだ。とてもじゃないがおちゃらけた映画なんて観る気分になれない、そういう人達だって読者の中には一定数存在するだろう。世の中には時々、苦しみの只中にある人に対してポジティヴな思考を無理強いしようとする不粋な連中がいるものだけれど、私個人としてもああいう不届き者たちには一昨日来てもらいたいというか、何なら縄文時代ぐらいまでさかのぼって出直してもらっても一向に差し支えはないと常々思っている。
というわけで、目下の私の使命は、暗すぎもせず明るすぎもしない、ひきこもりが観てもまんざら悪くないと思える映画の紹介、という事になろうか。これは一見すると非常にハードルの高い役目に思われる。が、こういう難局においてこそ最大限にその真価を発揮してくれそうな頼もしいジャンルに、実は一つだけ心当たりがある。その名も「ダークコメディ」だ。ダークユーモア、あるいはダークジョークと呼ばれるいささか不謹慎かつ際どいネタで皮肉な笑いを誘い、鋭い切れ味でこの世に毒を吐いてくれるダークコメディは、恐らくひきこもりであっても馴染みやすい、というより、他ならぬひきこもりこそが高い親和性を持てる世界なのではないかという気がしている。今日はそんなダークコメディ映画から、私自身も気に入っている作品を2本紹介してみたい。
1.『やっぱり契約破棄していいですか!?』(2018年/イギリス映画)
DVD 発売元・販売元:インターフィルム
各配信サービスにて配信中
もしも「お国柄」とか「国民性」といった形而上の概念が実存するとすれば、イギリス人のそれの一つにはまず間違いなく、「ダークユーモアのセンスの高さ」が挙げられるはずだ。例えば風刺画や風刺文学はイギリスでは伝統的に人気があるし、またイギリス映画を観る限りでは、彼らが常日頃陽気で快活なジョークを披露する機会はそう多くない代わりに、自虐やひねりの利いた軽口を会話の端々に挟む事で小気味よい笑いを取りに行く事なら日常茶飯事であるようだ。実際、私に言わせれば、台詞における言い回しの妙技でイギリス映画の右に出るものはない。ついでに言うなら彼らには遠回しかつ効果的に皮肉を言う能力がすこぶる高いという特質もあり、仮にイギリス人のお宅に長居をしてぶぶづけを出された事のある人がいたとしても、私なら驚かない。
さてそんなイギリス発の本作は、「人生なんて無意味さに意味を見出そうとするための悪あがきに過ぎない」との理由から世を儚もうとしている根暗な青年、ウィリアムが主人公。彼は身寄りがなく孤独で、作家志望だがさっぱり芽が出ず、人生の意味や、なぜ自分が存在しているのか、何の役に立っているのかと毎日苦悩して疲弊した結果、全てを終わらせようと決心する。しかしこのウィリアム、何かにつけて要領が悪く、更には運も悪く、おまけに間も悪いときている人物で、せっかく死のうとしてもいちいち邪魔が入って上手く死ねない。そこで彼はプロの暗殺者に自分の暗殺を依頼するのだが、相手は「英国暗殺者組合」というれっきとした(?)組織の古参ヒットマンである、レスリー。かつては業界一を誇った暗殺の腕前も加齢と共に鈍り、今では組合が定めた毎月の暗殺ノルマの達成も危うい状況にあるレスリーは、自殺の名所をうろついて営業に勤しんでいたところ、うまいことウィリアムをつかまえたというわけだ。
かくして、割れ鍋ウィリアムと綴じ蓋レスリーの間で無事に契約が成立、ウィリアムは望み通り一週間以内に予告なく狙撃される事となる。ところがそんな矢先、彼の原稿がとある出版社の目に留まってしまう。出版の話が持ち上がり、担当編集者のエリーという女性とも親しくなれたウィリアムはひとまず暗殺の延期を申し出るも、早いところ彼を殺さなければノルマ非達成でクビになってしまうレスリーは承服しない。やむなく逃げるウィリアム&エリー、しつこく追いかけ回すレスリー、そして時折巻き添えになる一般市民。逃げると言ってもウィリアムは隙だらけだし、追いかけるレスリーの方も割合ぼんくらなので、何ともすっとぼけた逃走劇が展開されてゆく事になる。
面白いのは、人生に追い詰められているのがウィリアムだけでなく、レスリーもまた同様だという点だ。英国暗殺者組合は規則に厳しい組織であるため、業績不振のレスリーは上司から引退を勧告されるが、彼は受け入れない。命令されようと脅されようと、レスリーは暗殺業からの引退を断固拒否するのだ。お金はあげるから殺害だけ中止してくれとウィリアムが頼んでも、奥さんが彼の引退後の海外旅行を心待ちにしていても、それでもこの仕事に固執するのをやめないレスリー。何故なら暗殺の仕事こそが彼の生き甲斐であり、人生そのものだったからである。自分の人生を手放そうとするウィリアムと、それにしがみつこうとするレスリーは実に対蹠的な存在で、片や悲観的なくせにちょっと天然で憎めない若者、片やアサシンの割に紳士的でひょうひょうとしたベテランと、性格でも立ち位置の面でも異なる点が多いのだけれど、そんな二人が見せてくれる意外なほど絶妙なコンビネーションは、言うまでもなく本作の主要な見どころの一つである。
また本作を語る上で欠かす事の出来ない重要な要素として、女性キャラクターたちの偉大さを挙げておきたい。まず編集者のエリー、彼女には気取ったところが全くないばかりかドライな印象さえあり、そのため湿っぽくウィリアムを慰めるような事はしないが、その代わり度胸の良さと肝の据わった言動でもってウィリアムの新たな希望となってくれる、素敵で心強い存在だ。そして、レスリーの妻のペニー。こちらは一見、絵に描いたような昔ながらの家庭的な主婦で、話題にする事といったら料理の話や趣味の刺繍の話、特に目下最大の関心事は今度出品する州の刺繍コンテスト(クッション部門)で優勝出来るかどうか。いかつい人生を送って来たアサシンの妻にしては意外な人物と言えるし、恐らくレスリーにとっても、本来ならクッションの刺繍の話なんていうのはスーパーどうでもいい事案に違いない。にもかかわらず毎晩夕食を共にしながら妻の話に律義に耳を傾けてやっているあたり、さすが英国紳士は違うなと思う。ただしこのペニーというおっとりした女性が只者だと思ったら大間違い、彼女は暗殺者の配偶者として一種の覚悟を持って生きているのだという事が、物語が進むうちにわかってくる。優しく、愛らしく、しかも勇敢なペニー(おまけに刺繍も上手!)。個人的にも、彼女は今まで観てきた映画の登場人物の中で5本の指に入るくらいのお気に入りだ。
以上、何かと物騒な単語は飛び交うが、自信をもってお薦めしたい1本である。注意点は一つ、小鳥さんが可哀想な目に遭うので、鳥類愛好家の方々には向かない。
2.『100歳の華麗なる冒険』(2013年/スウェーデン・フランス・ドイツ合作映画)
価格 ¥4,180(税込)
発売元・販売元 KADOKAWA
御年100歳のハイパーつわものおじいちゃんが、入所していた老人ホームを脱け出して大冒険を繰り広げるお話である。原作の小説はスウェーデン本国でベストセラーとなり、その後多言語に翻訳され出版されている。
アランという名前の、のんびりした性格で物事をあまり深く考えたりしないタイプの主人公のおじいさんは、その日老人ホームの部屋の窓の鍵が開いていたため、よいこらしょと脱走する。別段、彼に特別な意図や計画があってそうしたわけではない。もしそこに山があったら登っただろうし、そこに壁があったら嘆いただろうし、そこが四旬節前のリオデジャネイロならサンバを踊り出しただろうし、そこの窓を開けたら開いたから外に出た、それだけである。そう、アランの最大にして最高の持ち味は、こうやってあれこれ考え込まずに常にその場の成り行きに任せ、風の吹くままに行動する能力を持っているところにある。それというのも、子供時代に彼の母親が亡くなる間際に残した「考えたって無駄。人生、なるようにしかならない」という至言を、彼は胸に刻んで忘れる事がなかったからだ。よってアランは、おおよそ一世紀の間どこへ行くにも何をするにもその時々の「なるようになる」に任せ、その結果たとえ何が起こっても一切抗わず、言い訳をしたり嘘をついたりする事もなく、次の風が吹いて自分を運んでゆくのを待つ、そういう人生を送ってきた。おかげで彼はこれまでに世界各国を渡り歩き、内戦や世界大戦に参加し、今では歴史上の人物として知られる世界中の大物たちの知遇を得たり、かと思えば信じがたいほど惨い目に遭ったりもした。しかしそのどれに関しても、アランはさほど気に留めてはいない。理由はもちろん、「人生、なるようにしかならない」からである。
物語の半分近くは、回想によって語られるこうした若き日のアランの類まれな経験譚だが、むろん老人ホームを脱け出した現在のアランの行方も忘れてはならない。まず足の向くままにバスの発着所へよたよたと向かった彼は、所持金で行けるところまで行き、たまたま行き合わせた人と次々に知り合い、それがまた新たな展開を呼ぶ事になる。ただしあらかじめお断りしている通り、この作品はあくまでもダークコメディだ。だから当然、アランの身の回りでは剣呑な出来事が頻々と勃発する。例えばうっかりマフィアの手先と関わり合いになってしまうとか、結果的に彼らに追われる身になってしまうとか、そうこうしているうちに死人が出てしまったりとか、老人ホームが通報したためにニュースになって世間を騒がせる事になったりとか。どれもみな成り行きが生んだ事態に過ぎないわけだが、とはいえ案の定、アラン先生は何一つ気にしてはいない。自分の隣で人が死んでいてさえ「まあ、死んじゃったものは仕方ないよね」ぐらいの感想で終しまいで、顔色も変えずに再びひょこひょこと冒険を続けるのだ。どれほど物騒な状況になろうとも悠々としているアランのこの独特なテンポはおかしみに溢れており、彼の友人となる人々や、いっそ強面のマフィアまでもがどこかしら間抜けな性格をしているあたりもおかしい。だいたい何が物騒と言って、子供の頃から爆発物の制作とその爆破実験とを趣味としてきたアランが主人公の座に座っている事こそ、何より物騒というものだろう。
そんなこんなで色々ときな臭い展開にはなるものの、アランのあの超然とした態度、何事も「なるようにしかならない」事を100%得心していて一度も揺らがずにいられる精神性、こうしたものには一見の価値があるように思う。もちろん常人には真似できない事とはいえ、こういう生き方をしている人ももしかすると世界のどこかにいるのかも、と考えると、ほんの少しだけ視野が広がった気分になれそうだ。注意点は一つ、猫ちゃんとキツネさんが可哀想な目に遭うので、その方面の愛好家の方々には向かない。
今回紹介した映画を仮にご覧頂けたとしても、これらの作品から何か学ぼうなどと思われる必要は全くないし、私自身そんなつもりは毛頭ない。一度か二度、ダークなユーモアにヘヘッとニヤけてもらえたなら、紹介者としてはそれで充分である。