爆風スランプの「Runner」に出てくる歌詞で
「言葉もない おれたち」
っていう部分があって
昔から印象的だった。
例えば「ひきこもり」っていう言葉が
一般に広まったのが
1990年代後半?ぐらいかな?
それまでは自分だけがこんな状態なんじゃないか。
自分だけが特別で怠けているんじゃないか
って思っていたそうだ。
それが、社会的ひきこもりって言葉が出て
しかも数十万人いると推定され
自分だけじゃないって
変な話だけど安心した人も多かった。
そしてその言葉があるおかげで
支援者も現れ
当事者の自助会も多くなり
一種の共同体ができた。
多くのひきこもりの共通の定義って
家族以外の親密な人間関係がないこと。
僕も私もって
居場所みたいなところに出入りして
友達も作れるようになった。
でも、友達ができると
定義から外れて
ひきこもりではなくなるよね。
一般の認識って
ひきこもりっていうと
自室から一歩も出てこられないっていう
イメージすらある。
そうするとまた
自分を表す語彙がなくなってしまう。
社会の組織に属していると
自分はその組織にいますって認証される。
会社や学校にいれば
社会的信用が得られる。
ひきこもりにとって
今何してるのって聞かれるのが一番怖い。
ひきこもりですって
マイナスの意味を含んでいるから。
それでもひきこもりっていう言葉があると
ひきこもり同士では連帯しやすい。
ひきこもりにとって
友達を作るのもハードルが高いけど
そこから就労するのは
とてつもなく高い壁があり難儀する。
友達はいるけど
就労できない。
その状態を表す共通の語彙がない。
自分の所属が分からない。
自分をナラティブ(物語的)に表現できない。
この状態のストレスって
見逃されがちだけど相当辛い。
ひきこもりっていう言葉がないときの
ひきこもりの人の状態。
自分ってなんなんだってこと
自分で表現できない。
自分が分からない不安。
難病の状態なんだけど
病名がつかない状態をイメージしても
相当不安だよね。
例えば発達障害って名前があると
そうそうって納得できて
今までの上手くいかない感じが納得できて
すっきりする人もいる。
それとは逆に
その名前に属するのが腑に落ちない場合がある。
精神障害者だとか
ニートであるとか
負のスティグマ(刻印)がまとわりつく表現。
それを認めるとレッテルが貼られ
自己肯定感が持てなくなる。
そして実際その言葉では表現しきれない
自分の違和感がある。
一見、ひきこもりに見えるけど
自分はひきこもりじゃないっていう人
少なくない。
「言葉もない 俺たち」状態。
言葉に表すと違和感がある。
それを言葉にするのが文学だったり
芸術だったりもする。
言葉を生み出す苦悩。
ひきこもりのゴールって
就労でもなく人間関係でもなく
自分は自分であるって自信を持って
表現できることなのかもって感じました。
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初めまして
月空です。
ひきこもりの月空模様
http://tukisoramoyou.seesaa.net/
っていうブログやってます。
自分なりに感じたこと
言葉にしてます。
つたないですが暖かく読んでやってください。
富山県 月空(投稿日:2014年12月7日)