それってアドラーの目的論でしょ。
アドラーは詳しくないからわかんないけど、自己責任論のバリエーションでしょ。
自己責任論って、過去に適用されたら「今の状況はお前が原因だ」だし、未来に適用したら「今の状況はお前の力で変えていける」ってことでしょ。
そういうの引きこもりに言っていいとか思ってんの?
本読む習慣あるなら井出草平ぐらい読んでるよね。百歩譲ってレビューぐらいは。
過去のことで頭がいっぱいの人に自己責任論説くって,
心理療法の話紹介したいならそういう浅知恵やめてくれよ。
こっちだって必死で藁つかむ思いしてなんかヒントないかと思って本とか読んでんだよ。
ってアホみたいなこと書いたけど、一応代案。
引きこもっている原因とかそういうこと責めちゃう人は「いやな気分よ、さようなら」読んでください。すこし楽になります。自分がそうだったからだし、一応エビデンスあります。
http://cbtcenter.jp/room/outcome/hikikomori.php
もう一冊。自己責任論とつながってくる本ですけど、「ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)をはじめる」です。自責も他責もやめて自分で人生を選んでいこう、という内容です。
で。
自分の話になりますけど、まだ引きこもり中です。なんかヒントになりそうな本とかあったら教えてください。
でも多分知ってると思うけど。
家族療法の本も一通り読んだし。
引きこもりのクズのグチでした。健常者さん傷つけることこと書いてるかも知んないけど。
神奈川県 とうめいにんげんなんだけど (投稿日:2016年3月25日)
(一部修正)
目的論だけで構成されたアドラーは過去の人。せめてカントを勧めよう。
私は自己責任論というものはよく知りません
今回私が「嫌われる勇気」をご紹介したのは、私自身「嫌われる勇気」を読んで、対人関係に対する考え方が変わったこと、考え方のよりどころになっていることがあるからです
アドラーは人間の悩みは全て対人関係によるとしており、「嫌われる勇気」ではその人間関係に対する見方を変える考え方が示されていると思ってます
また、私は初期仏教の考え方にも救われたことがあるのですが、アドラーの考え方はそれによく似ているとも感じています
以前、書店で仏教(初期仏教や禅)の本を買おうと、時間をかけて選んでいて、結局買わずに店を出たのですが、書店での私の様子を見ていた方が声をかけてこられたことがありました
その方は、私が熱心に集中して仏教の本を選んでいたので、どうしても声をかけたくなったとのことでした
その方は数年間ひきこもっていたけれど、知己を得た人の紹介で、ヨガを学んでおり、ヨガのおかげでひきこもっている状態ではなくなったとのことでした
そのヨガの先生が、仏教の話もされるので、仏教について勉強しようと書店にいったら、私を見、ものすごく熱心に仏教の本を選んでいるので興味をもったので声をかけて友達になりたかったとのことでした
その方とはそこで立ち話をし、仏教とアドラーの類似点なども意見が一致したので、私の見方はあながちまちがってないのかも、と思いました
また、その方は、いくら他人から「ひきこもらずに外に出よう」といわれてもその気になれなかったが、ヨガという「実践」を行ったことにより、「自ら」ひきこもっていることをやめようと思えたんだ、といっていました
浅知恵と言われるかもしれませんが、仏教(初期仏教や禅)は、呼吸法などにより「いま、ここ」に意識を向けることにより、過去や未来にとらわれることにより生じる迷いや苦しみにとらわれないようにする「訓練」「実践」「トレーニング」であるように感じています
私はこどものころいじめをうけたことがありますが、ひどい仕打ちを受けたり悲惨な経験をされて長期間ひきこもっている方の気持ちの本当のところは分からないのだろうと思います
しかし私自身、対人関係に悩んでいるときに、アドラーや初期仏教の本を読み、考え方に触れたことで救われ、今では考え方のよりどころとなっていることもありますので、少しでも参考になるのではないかと思い、ご紹介させていただいたところです
えと。先に言っておきたいことは煽りすぎた文章ですんません。ちょっと自分が精神的にひどい時期のこと思い出して感情的になってました。「浅知恵」とか言ってすんません。あと修正してもらったんですけど元の文章はちょっと後悔するくらいひどい言いかたしてました。
びりけんさんが悪意がないってことは分かってます、多分。ただ心理療法だけじゃなく、「人生」についての考え方一般に言えることですけど、そういうものって薬にも毒にもなるってことにびりけんさんはあまりに無自覚すぎないですか、ってことが言いたかったのです。たとえば「仕事なんてどれも一緒」とか「結婚って誰としても一緒」とか、これって「極論だけど一理ある考え方」だと思いますけど、んじゃ就活必死になってる人にそんなこと言えますか?っていうことです。(引きこもりなのにこんな例だしても説得力ないですけど)
自己責任論知らない、についてはそれ嘘でしょ。別にいいですけど。
あと、仏教推しについては、ACTがそうですよ。ACTって仏教瞑想の要素入ってます。(「いま、ここ」ってACTの理念のそのままで、テーラワーダ仏教から影響受けてるみたいです)自分もACTの流れで仏教の本は結構読みました。仏教に救われた経験あるんでしたら、ACTも結構面白いんじゃないかと思います。
うーん、自分もやっといてなんですけど、でもやっぱり心理療法を困ってる人にすすめるって、毒の部分も大きいと思います。特にどういうふうに「これ自分に役立つかも」っていう「紹介」が難しいと思います。(たとえばうまく紹介できないと「認知行動療法って洗脳でしょ」とか、「ACTって現実逃避でしょ」とか思われる問題、みたいな)
感情的になってたと思います。マインドフルネスマインドフルネス、みたいな。自分が一番できてなかったみたいですね。すんません。自分がつらいからってアドバイスしてくれる人ぶった切るようなことしてしまうのはよくないですね。びりけんさんが「浅知恵」だけで紹介してなかったんだという可能性もちゃんと想像できなかったのはだめですね。すんません。
めんどくさい「反論」にちゃんと応えてくれてうれしいです。ありがとうございます。
>目的論だけで構成されたアドラーは過去の人。せめてカントを勧めよう。 すんません、ちょっと何言ってるかわかんないす。
書き忘れがあったので、一応。
なんで今も引きこもってるかというと、多分ACTで言うところの「価値」が分からないからだと思います(ACT知らない人からすればなんのこっちゃ、ですけど)。簡単に言うと、今現在自分を縛り付けるネガティブなものが突然全部なくなったとして、どういう人間になりたいのか、が全然分かんないってことなんですけど(ミラクルクエスチョンとか、自分の葬式を想像するとか、をやっても何も思いつかない)。それまで一応ちゃんとACTやったので「体験の回避」ではないと思うんですけど。実際ネガティブなぐるぐる思考はおさまったので。 うーん、一応精神科にも通ったし(そこは「5分診療」でもなく)、支援団体?にも通ったんですけど、続かないというか。
どういう人間になりたいか、といった疑問にはまず自分はどんな人間にもなれるかもしれないという可能性を見出す必要があると思います。
そのためには結局、働いて自分の得手不得手は何かと実感する必然性があるかと思います。
>どういう人間になりたいか、といった疑問にはまず自分はどんな人間にもなれるかもしれないという可能性を見出す必要があると思います。
うん。わかります。一応上に書いたミラクルクエスチョンってそういうものなんですけど。「自分をさえぎる障害がなくなったら、何をやりますか?」みたいな。
>そのためには結局、働いて自分の得手不得手は何かと実感する必然性があるかと思います。
「自分はどんな人間にもなれるかもしれないという可能性を見出す」イコール「自分の得手不得手は何かと実感する」なんですか?ちょっとよくわかんないですけど。むしろ逆な印象ですけど。
「とりあえず働け」「とりあえず学校へ行け」はさんざん言われてきたし自分自身でも自責的に思ってしまう「正論」なんで結構反発心があります。「とりあえず」ができたらこんなことなってないよ…っていう感じの反発心です。
翁さんがどういう根拠(っていうのもちょっと変な言い方かもしれないですけど)でそう言ってるのか分かんないんで、飲み込みづらいです。 うん、でも「とりあえず行動」はそうだと思います。小人閑居して不善をなす、みたいなことだと。これもACT的ですけど。
でもACT的な「価値」があれば自分の置かれてるダメダメな環境も自分のダメダメな能力の低さもドブに捨てたとしかいえない長い時間も、ちゃんと引き受けて自分の人生を生きていけるのではないのか?っていう思いもあります。引きこもりじゃない人からしたら「引きこもりの身分で高望みしすぎてんじゃねえよ」って思われることかもしれないですけど。(ってこれほんとにこう思ってる引きこもりじゃない人いたら、結構「差別」じゃないの、って思いますけど)