ひきこもりや就労、精神障害等の支援において、一番見落とされているものは、当事者の声である。これらの支援は、未だに提供するものという認識が支援者にあり、当事者のニーズに合致しないまま、当事者が悩み続けながら支援を受ける場合がある。
依然としてひきこもりや未就労、精神障害等は自己責任という認識があり、当事者が立ち直ろうとするたびに偏見や心ない言葉を浴びせられる場合がある。当事者のコントロールできない家庭内問題、いじめ、パワハラ等の精神的攻撃は避けることが難しく、支援機関をたよっても具体的解決に繋がらないまま、なあなあで物事がおさまってしまう。
その繰り返しで当事者が心身ともに疲弊し、社会生活も難しいほどの精神的障害を負うこともあるだろう。しかし、当事者に投げられる言葉は「それは自分の問題だよ」。正直、ふざけるなと思う時がある。社会で普通に生きることが、どれほど幸運なのかということを普通の人は理解できない。精神的攻撃にさらされたことがないのだから当然である。
無論、生きていくためには働かないといけない。しかし、これまで偏見にさらされてきたひきこもりや未就労者、中には暴力やいじめ、パワハラでそうなった当事者たちを、支援者の用意したベルトコンベアにのせて就労を行う現状の支援体制が正しいといえるのか。
これまで述べたことの前提にあるのが「ひきこもり(未就労・精神障害)だからこれで我慢しろ」という考えである。この考えは、根底から支援者と当事者の関係を悪くする。支援機関にたよったり、がんばっても具体的解決につながらなかった当事者は、必ずと言っていいほどこの考えに苦しめられてきただろう。
まず支援者は、相手を一人格として認め、当事者の声をしっかりと聞いて、彼らが望む支援プログラムを組み直すところから始めてはどうだろか。当事者がまだやり直せる段階で本当にやりたかったこと、目指したいものを聞いて社会に戻すことが、当事者が望む本当の支援である。
宮城県 トリコロ(投稿日:2016年8月7日)
すごく共感しました。
当事者以外の人は結局ひきこもりの人の悩みや傷ついた心はそっちのけで、「とりあえず就労されせればいい」「とりあえず形におさめればいい」としか考えず、形におさめたり就労して頑張っても、「お前のここがダメ」「ここができてない」「こんなこともできないのか」とか言ったり思われてすごく腹が立ちます。「頑張った!」ではなく「まだダメ。完璧じゃない」の減点法です。加点しないんです。ひきこもりの人ほどほめて伸びると思います。
話がそれて申し訳ないですが、当事者が悩みや傷ついた心を誰かに共感されたり理解されないままベルトコンベアに流されるのはとても悲しいです。