六年間ひきこもり中のアラフォー男です。長い間引きこもっていると社会との関わりがなくなることで、その期間社会的価値観が育まれず自己成長が止まってしまっていることで精神的なものやコミュニケーションにおいてもズレができる。もともと昔から、集団の中で浮いてしまう性質がある上、社会とかかわらない時間が長くなればなるほど、入っていきづらくなっていく。その6年間のうち何度か職に就こうと資格をとったり、会社見学にもいきました。内定をもらいましたが、自己肯定感の低さやいままでのトラウマからか働き出した後の事を悪く妄想してしまったことで断ってしまいました。要するにまだ起こった出来事でもないことから戦わずして逃げたわけです。本当は仕事について他人に認められ、自分に良い評価をすることで自信をつけることが自分の望みであるはずなのに、、、私にとっての一歩、二歩目のハードルが高過ぎるように感じます。自分の望みに嘘をついて感情を抑圧すればするほど自分が歪んでいきそうで怖いです。
滋賀県 プッシュ(投稿日:2020年5月24日)
私もハードル高く感じます。
社会の色々な事で、なんだかスーパーマンのような人以外求められてないような気すら個人的に感じてしまって。
もう少し、小さい段差を少しづつ刻むように、(途中に菓子パン+コーヒー付きの休憩ポイントみたいなのもたくさんあったら嬉しい)のんびりゆったりと歩いていける世の中になったら良いのになぁ等と考える今日この頃。
暑くなってきたのでお互い身体に気をつけて過ごしましょうぜ(´_ゝ`)ノシ
ちょっと前、読んだ本に
星野仙一さんが講演会で
弱気と勇気は隣合わせ、それを理解すれば大抵の弱気は勇気に変えられる
だそうです、私自身、今年1月からエンジニアから介護士へと転身しました。後少し経った来月あの時、自分頑張れたからいまが有ると思いたいのです。泥くさいのはある意味、最高にカッコイイです
いい選択を
なんでかよくわからないけれど、出来なくなることがよくあります。
他の人からは、なんでそんなことができないの?と言われるようなことが、延々と手が付けられず、つっかかる。
しかも、あーできてないな、ほんとだめだな、とずっと心にできていなことが引っかかり続け、出来ない自分をせめたり、逃避したりする。
個人的な経験からいえば、こういう時は、出来ないことはできないと割り切って、別のよさそうな事をするのがいいような気がします。
プッシュさんも、出来ないことはできない、と割り切ってみてはいかがでしょうか。
内定を蹴ったのだって、きっと何か無意識のうちに危険を察知したんです。
そのまま働き始めれば大変な状況に陥るのを、動物的直観で見抜いて回避したんです。
そういう事にしておいて、出来ることをしていた方が、出来ないことにこだわって、とても無理、でもやらなきゃ、でもきっとうまくいかない、でもやらなきゃ、でも踏み出せない、出来ない自分はなんてダメなんだ、このままいったら大変なことになる、でもできない、とか延々とループし続けるよりは、おそらくましな状況になるんじゃないでしょうか。