ひきこもり経験が長期化すれば、仮に職を得ても、周囲に馴染むのに非常に苦労するかもしれません。職を得ることも、難しくなっていきます。
このサイトを、たぶん1年くらいは見てきました。その間、何度か投稿もし、他の方の投稿も見てきた範囲で、率直に今の感想を言うと、あえて言いますが「正直、何を言っても、もう手遅れかもしれないな」と思うところがあります。
一方で、当事者にとっては「ダメならダメと言ってくれ、ヘタに希望を持たされる方が、何倍も辛いんだ」という痛烈な思いがあると思います。
絶望の中にいるのに、優しく神経を撫で回される苦痛。情けなさ、そして、行き場のない憤り。
ところで、私は少し前に、競輪学校に通う女性達の番組を見ました。それはもう、軍隊のような生活。帽子の色で能力別に分けられる。
OLをしていたのに、突然競輪選手を目指す。当然体力がなく、ついていけない。それでも泣きながら、吐きながらペダルをこいでいました。
何でそこまでするんだろう。みじめではないのか?それは醜態ではないか?勝てる見込みが限りなく少ない世界に、あえて飛び込むというのは、蛮勇か、勇敢な一歩か。どう思いますか?
泣きながらでもやるか、やらないで言い訳だけを募らせるか…という選択肢が彼女には見えたのでしょう。
変わりたい、人間が変わるというのは、激痛を伴う、大仕事だということです。
家の中にいても苦しいと思うなら、そこまで思いつめているのなら、やりたいことをやるのもひとつの手かもしれませんね。
その先に想像を絶する苦痛があったとしても…生きるというのは、痛くて大変で、どうしようもなくものすごい、ということです。
気力があるかないか、とかではないと思います。気力がないなら、ないままでスタートを切ればいい、そして「なんてだらしないやつだ!今まで何やってたんだ!」と罵られればよいのです。それでいいんです。それが正解だと思います。
そうだ、自分は無気力なんだ。それが自分なんだからしょうがない。自分はスターにはなれない。日の当たる道は歩けないかもしれない。 だけど、無気力だけど、自分なりに出来ることを、それだけはやるんだって、そういう風に乗り越えるんじゃあないですか?
神奈川県 おいどん