([1]から続き)
一方haruさんのように「暇が辛い」という人もいる。定年パパが何もすることがなくなってショボンと塞ぎ込むのを典型に、その人自身として「それしかできない」ようなことができなくなる、「それしかできない」から他のことができない、そのような「暇」は確かに辛いでしょう。また「忙しくしなければならない」と、仕事も趣味もスケジュールをパンパンにして、結果それに振り回される自称リア充もいる。彼らは「暇そうな人」を軽蔑し嘲笑するが、「暇」を極端に怖れる自分の「辛さ」に向き合おうとはしない。このような「辛さ」は忙しくしていれば解消できるものではない。そういう意味では、本当に「暇」になった時に何ができるかというのは、実際その人の真価が問われるのかもしれない。
たぶんharuさんの息子さんは「暇」ではない。毎日パンパンなのです。必死に一日を生きている。それがわからないと、彼のしていることを「理解する」のは難しい。そんな中でもし彼に「あんた、暇で辛くないの?」などと言おうものなら、取り返しのつかないことになるでしょう。彼は「暇」でもないし「辛くないわけがない」のですから。それはあなたの「日常の辛さ」を考えればわかることだと思う。想像力を働かせて、まずはその「自分自身の辛さ」に向き合っていくことではないでしょうか。それができますか?
千葉県 臨海