([1]からの続き)
大きかろうとちっぽけであろうと、その人の苦しみはその人自身のものであり、その人自身が向き合わなければならない。それが一体どこからくるのか自分自身で突きとめて、その再生産を阻止しなければならない。
もし「大きな苦しみを抱えた人」が、「オレの苦しみに比べたら、おまえの苦しみなんぞちっぽけなものだ」などと言うならば、その人は「自分自身」の苦しみに向き合っていないことになる。そのような人の苦しみなど、たとえそれがいかに大きかろうと、誰もそれに共感することなどないし、転じて彼自身も他の誰の苦しみに対して共感を覚えることもできないのです。そのような、共感し共感される回路の欠落した人だけが、「こちらの苦しみに比べたら、おまえの苦しみなんぞ」と平気で言える人なのではないだろうかと思えてなりませんが、いかがでしょう。
千葉県 臨海