Tweets by suzuhari_hoshi
「ひきこもりって、「問題」なの?」のスレッドが長くなり読みづらくなってきたので、勝手ながらこちらにスレッドを新しく立てさせて頂きました。
もしよろしければ、レスなど頂ける場合はこちらにして頂けますでしょうか。
よろしくお願いします。
神奈川県 にゃん
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こんにちは。 にゃんさんの言われることには、よくわかりました。 一方で、引きこもり脱出は時間との勝負と言われる先生もいます。 長引けば体が弱る。世間の受け入れが厳しくなる等。 人によると思います。 周囲が無理矢理出して、それで、立ち直った人がいる。それもまた、事実です。 当事者の人生の選択です。
今の社会保障を維持するのに、消費税は30パーセントくらいにしないといけないみたいです。 ひきこもり自身の人生を考える。確かにそうです。 けれど、日本全体が滅びたら元もこもない。 支える側の人の方が少ないという現状も無視できません。 日本は不景気です。企業も収入の方が多ければ、高い給料を払えます。けれど、そうはいってないので、ブラック企業というののが誕生してしまいました。 企業に勤めるのが嫌なら、自分で自営業をはじめるしかありません。 政治家もいろいろ考えているとは思いますが、すぐにどうなるものでもありません。
現実、起こっている不幸な現象は、嫌だと泣いてわめこうが事態が変わるわけでもなく、お休みする方は休む。動けそうな人は、出来そうなことから動いてみることですよね。 大きな地震が来るかもしれない。火山が爆発するかもしれない。逃げられる、準備だけはしててください。
カフェインさんへ
参考までに。 ACA(アダルト・チルドレン・アノニマス) http://aca-japan.org/
基本的にこういった自助グループは、言いっぱなし・聞きっぱなしのルールと、守秘義務の約束が徹底されています。 言いっぱなし聞きっぱなしというのは、話す人は他の人の話への意見、批判はもとより感想も禁止、そして聞く人は自分の聞きたい話だけ頭に入れて、あとは聞き流す、というものです。
これをやり続けると、「安心して」、今まで人には絶対に言えなかったような事を話せますし、また他の人がそういう話をしたら、あ、いまなら私もあの話が出来るかもしれない、という風になりやすくなります。
そして、そうしてずっと押し隠されてきた「自分」の話が、他の人に受け止められることで、その「自分」を隠す必要がなくなり、その「自分」を責めなくなっていきます。
責める自分、責められる自分の戦いは、そうして少しずつ和解、統合への道を辿っていく、と私は体験上そう思います。
色々とありがとうございます。 自分は今、もう一度受験してみようと頑張っています。 眠れない日もありますが、それなりに人間らしい生活を 送っています。 自分の経験については、やはりまだ直接人に話す事は 出来そうにありません。感情的になってしまうので。 少しずつ前に進んで行けたらと思います。
あきさんへ
遅くなってすみません、まずは前スレへのレスから。
ひとつ、「子」の立場からお話させて頂きましょう。
私の母も、あきさんと同じように健康食品などに拘りがありました。 私が子供の頃、母は母なりに、一生懸命私のことを考えて、色々と私のためにしてくれました。 母が母の経験に基づいて、それに加えて色々なところから得た知識も総動員して、まさに母は私のために頑張ってくれました。 私はそのことを誰よりも感じていました。
でもね、お母さん。 そこには、肝心の私の気持ちは入ってなかったんだよ。
私には、深い罪悪感がありました。 母が私のためにしてくれる事を受け取れない自分と、ありがとうの気持ちが持てないことに。 そしてその罪悪感を隠すために、母に怒りをぶつけたりしました。
あなたのためを思ってやっているのよ、五体満足なのはありがたいことよね、アフリカの貧しい子たちに比べたらあなたは幸せなのよ、何不自由なく暮らしているのになにが不満なの?、どうしてありがとうって素直に言えないの? 母からの陰に陽に示されるそれらの言葉が、私を締め付けていました。
今なら、はっきりとわかります。 母が私に与えてくれたものを私が受け取れなかったのは、私のせいじゃない、と。
母はただ母自身にとって良いと思ったものを私に与えて、母とは違う私がそれを受け取れないことを、「我儘」とか「自分勝手」とか言っていました。 でもね、それは、自分と他人の区別のついていない、お母さん自身の問題だったんだよ。 今なら、私ははっきりとそう言えます。 そして、深く、怒りを感じています。
私は、母に大切にされました(と私は思う)。 でも、それは私という、母とは別個の人格を有したひとりの人間としてではなく、母の抱く人形のような扱いでした。 私は、子供の頃、母に抱きしめられるたびに、虚ろな気持ちになりました。 まるで、自分の体が人形になったような感じでした。 お母さん、私はそこにはいないんだよ。 私は、どこにいるんだろう・・
あきさんの息子さんとお話したことが無いのでわかりませんけれど、私は息子さんは、必死に「自分」を守ろうとしていらっしゃるのだと思います。
二十歳を過ぎた立派な成人男性を母親が抱きしめたって、それは気持ち悪がられますよ(笑)。 重要なのは、あきさんが息子さんから子離れすることだと私は思います。 そして、ひとりの女性として、心の底から幸せになって、その幸せの笑顔で息子さんと接すればいいのだと私は思います。
とはいえ、実際の今の母親ではなく、息子さん自身の中の、内なる母親のイメージが変わることが重要なのであって、それはたとえば、あきさんではなく、息子さんを温かく受け入れてくれる他の大人の女性からそのイメージを得てもいいし、それは小説やアニメのキャラクターからでも構わないと私は思います。
その内なる母親のイメージが健全に成長しそれに抱き締められたときに、もう実際の母親をどうこうしたり反抗したりする必要が無くなり、本当の意味で息子さんは自立へと向かえるのだと、私は考えます。
パソコンやゲームなどは、正直言いまして、私はそれが出来るならどんどんやればいいと、会う人ごとに言っています。 確かにそれは嗜癖(依存)かもしれませんが、そういうものに打ち込んでいる間、少なくとも親や世間からの同調圧力から離れて、「自分」でいられるというひとつの「効用」がそれにはあるのですから。 そうした安全を確保したところから、正常な人間関係を築いていけると思いますし、その意味ではネットなんていうのは、ひきこもりさんにとって大切な命綱です。
安全でない関係を他者と結んだ状態のまま、いくら外の世界に出て頑張っても、さらに傷を深めるだけなのではないでしょうか。 逆に言えば、安全で正常な関係を結び直すことが出来る土台があるからこそ、人は世界の荒波に揉まれながらも生きていけるのだと私は思います。 息子さんはきっと、ご自分のその土台がボロボロになっていることを、感じているのではないでしょうか。
あきさんと息子さんの違いは、その事を無意識にでも理解しているかどうか、なのだと私は思います。
息子さんだって、ゲームばかりじゃなく外に出て色々経験したくないわけがありません。 でもそれでも、そうしてでもなんとかしなければいけない「問題」と、息子さんは向き合っているのかもしれません。 そして、その「問題」に晒されながらも、なんとかゲームやネットをすることで生き延びているのです。 それを取り上げては絶対にいけないと、私は思います。
プライド云々の話は、恐縮ですが、私は非常にわかる気がします。 プライドというのは要は、自分の自尊心の低さを隠すための分厚い鎧です。 なにかから自分を必死に「守って」いるのです。 あきさんの事を馬鹿にしているのはつまり、あきさんから、自分を守っているのではないでしょうか。 そんな分厚い鎧を必要とするほどに、息子さんの自尊心は痛めつけられているのかもしれません。 学歴がすべてじゃないというのは私も同感ですけれど、息子さんにとっては、学歴以外他になにもないほど既に追い詰められているのではないでしょうか。 そのことを認識することが、まず大事だと私は思います。
あきさんのお顔のことを息子さんが受け入れたくないというのは、もしかしたら、息子さんはあきさんの本当の心の叫びを聞きたいからなのかもしれません。 我慢すんなよ、辛いんだろ、苦しいんだろ、なに隠してんだよ、と。 息苦しさを、感じているのかもしれません。 母親の気持ちを、救おうとしているのかもしれません。
受け入れたくない状況や問題を、解決しないまま、我慢して受け入れていく、それが大人になることなんだ、人間というものなんだ。 息子さんは、そのような人生訓になにより怒っているのかもしれません。 ふざけんな、一番の土台がぐちゃぐちゃのまま成長しろとか、無責任なこと言うな、と。 足の骨が粉砕骨折しているのに、治療もされずに前に進め歩けと言われているようなものでしょう。 息子さんは、家族のそうして隠蔽されて素通りされていく問題を解決しようとしている、そのためにひきこもるというアクションを起こしたのかもしれません。
私はひきこもり当事者という言葉は好きじゃないのですけれど、それは問題を矮小化して、ひきこもるというアクションを起こした人に問題と責任を帰結させる、更なる問題の隠蔽化が行われてしまうからです。
問題は、家族という場、そして機能に起きていたのです。
あきさんが、そして他のご家族が隠蔽し、抑圧し、否認している様々なことと向き合うために、色々と支援が必要だと私は思います。 家族の、ほんとうの幸せのために。
そうして収まるべきものが収まるべきところに収まったとき、、やっと、「家族の問題を解決すること」に「嗜癖(依存)」していた息子さんは、ようやくそれから手を放して、自分自身の問題、すなわち生き辛さの問題、これからの人生などに「現実的に」向き合えるようになっていくかもしれません(無論、要第三者の支援)。 私は、ひきこもりさんは、とてつもない親孝行さんだと感じています。
私は、ひきこもりさんとご家族の問題をそれぞれ整理して解決していくのが、一番の近道だと考えています。
続きです。
あきさんは、辛いおもいをしてきたのですね。 お母さんには理解も助けても貰えず、そのことを受け入れるしかなかったのですね。 それだけでも辛いのに、お父さんには無茶苦茶な理不尽を言われてしまって、ほんとうに、どうしようもなかったのですよね。
辛くて、苦しくて、助けてほしくて、憎くて。 きっとたくさんの感情があって、そして、きっと、そうした感情を抑えなければ生きてはいけなかったのではありませんか?
だって、子供は無力ですから。 親の言うことを聞くしかないし、悪いのは自分だとおもうしかありませんから。
なんにも子供は悪くないのに。 子供は親に守られなければいけないのに。
あきさんは、ひどい体験をしたのだと、そのことを声を大にして語ってよいと、私は思います。
すみませんが、私はあきさんの仰った宗教の教義には興味がありません。 ただあきさんが、宗教に嗜癖(依存)しているのを私は感じて、でもその嗜癖を必要とするほどに、それが無ければ生きられないほどに、あきさんは辛いおもいを抱えてしまっているのだと、感じます。
あきさんの体験を、「ひどい」と語ることが、許されないほどに。
私はあきさんの宗教のお話は、あきさんの体験から感情を抜き取って、あきさんをロボットにしてしまうもののように感じました。
お父さんにひどいことされたと感じたのに、それを完璧な人間はいないのだからしかたない、自分を育ててくれたのだから感謝しよう、だなんて、だいぶ色々なものが隠蔽され否認されている感じが私はします。
それはあきさんの子供の頃の、親の理不尽を「受け入れるしかない」というのを、より巧妙に形を変えて繰り返していませんか? 親から受けたひどい仕打ちと同じことを、あきさんご自身に、そして、息子さんにしてしまってはいませんか?
不躾なことを続けて言って申し訳ないですが、私は、あきさんは親から受けた「ひどい」仕打ちをもう一度詳しく思い出し、検証し、それと同じことを自分がしていないかを点検する必要があると思います。
私は、本当の感謝は、自分が受けた「ひどい」体験を、しっかりと怒り、思い切りそれらの感情を感じ切ったあとにしか、生まれてこないと思います。 あきさんのお話では、感謝が、「ひどい」という感情の「否定」として使われているように私には見えます。 そうして自分のつらい感情や怒りを「感謝」という形で否認しなければ生きられない、そうなってしまってはいないでしょうか?
息子さんは、そのあきさんの欺瞞を目の背けようがないほどに見抜いてしまったのかもしれません。
「おかあさんが、そんなことやっているから俺はこうなった。」。 すごいですね息子さん、それは私が全く親に言えなかった言葉です。 あきさんが宗教をしていることではなく、あきさんが感情に欺瞞を抱えていることを指しているのかもしれません。 だから、あきさんが宗教を通して「幸せ」になっても、息子さんはそれを絶対に認めないでしょう。 その幸せは、偽りだから。 そのあきさんの、ご自身の感情を切り捨てて成る「幸せ」を破壊するために、息子さんはひきこもっているのかもしれません。 感情を取り戻す。 それがテーマなのかもしれません。
私の母も、そういう人でした(そう私には見えていた)。 ひとりだけ幸せな感じを演出して、ひとりで勝手に思い込んで、ひとりで色々なものを我慢して誤魔化して。 母の笑顔が、私は怖かったです。 この人は本当にこのまま終わらせてしまうのだろうか、なにも問題無い顔して、色んなものを切り捨てたまま、一生を終えていってしまうのだろうか。 やめさせたかった、なんとかしたかった、私がしっかりしなければ、私がなんとかしなければ・・ ただ母の望むままに行ったら、このまま終わってしまう、だから・・・
気付けばひきこもっていました。 そして、たとえそれが偽りのものであっても、その母の幸せ(子が普通の人生のレールを歩くという幸せ)を破壊する罪悪感に駆られていました。 どうすればよかったんだろう。 私なんか初めからいなければ、この人は自分の欺瞞を暴かれずに、それなりに生きていけたのかもしれない。 でも・・それでいいのか・・
そうじゃないよ お母さんの人生はお母さんの人生だよ ただ・・お母さんに私の気持ちと向き合って貰えなかったから・・ 私は、さびしかったんだよね
今の私は、あの頃の私にそう言ってあげられます。
母自身の問題に介入して、自分の問題(さびしさ)から目をそらすという、それが私の共依存だと理解しました。 そして、共依存というやり方で、偽りの「幸せ」を作り出そうとしていました。 つまり、母と同じことをやっていたのですね。 継承していたんです、私はその点に於いて母とそっくりです。 私はそれに気づくことが出来ました。 そして、それを断ち切り、新しい生き方を私に、そして「ついでに」家族に示したい。 母の問題は母が解決するべきことで、私が解決する問題ではない。 私が解決するべきは、私自身の問題。 それが今の私の要にあることです(といいつつだいぶあきさんの問題に介入してますね、すみません)。
あきさんの仰るハングリー精神が無いとか幼いという今の世代の人たちは、上の世代の人たちが隠蔽し、素通りしてきた問題を、思い切り背負い込み、受け止め、必死にそれを解決していこうとする事が出来るほど、ものすごい力を持っているのだと、私は感じています。 それを是非感じて、そして今の人達の、息子さんの力を信じて頂けたらなとおもいます。
それが子離れの始まりだと、私は考えています。
そして、あきさんの抱える問題、そして満たしたい隠れた欲求を解決し叶えるのは、あきさん自身です。 息子さんを使ってそれをすることはできませんし、してはいけません。 息子さんがあきさんに反感を持ち距離を取ろうとするのは、子離れ親離れを求めてのことで、とても健全なことだと私は思います。 息子さんの世話焼きという名の支配をするのは、もうやめて、息子さんを手放して、ご自分の人生を責任持って歩いてください。 それが、「子」の立場にある私と、そしてあきさんと同じく辛さを抱える者としての切なるおもいです。
自分の辛さ(トラウマ)と向き合うのは大変な作業です。 ゆっくり自分のペースで、出来ることからでいいと思います。 そしてなにより、ここまでその辛さを抱えながらも、嗜癖を使ってでも生き延びてきた、そのご自分の力を信じてみてください。 私は、あきさんはよくがんばったとおもいます。
私は私の母にも同じように思います。
私は、あきさんの宗教の教義も、なぜ安心できないかもわかりますが、その健康食品とか親の無理解の言葉とか。 教義が、板挟みになり苦しさを増しているのではないかとのにゃんさんの言葉もわかります。 学歴に子どもがこだわっているのだって、無為自然になるわけではないのですよ。そうインストールしたんですよね、親が。それで失敗すると、親の親も失敗したという。許すのは大事ですよね。でも上から、許せどころか、感謝せよだと、それが正当でも頭に来るのは自然なことに思える子どもも多いのもわかります。にゃんさんは、怒るというか、はっきり言うのも大事だと思っているでしょうね。 でも、一番大切なのは共感することですよね。 あきさんがお父さんに怒りを抱いたいた経験があるのだから、共感できないはずはないと思うのですか、そういった共感より行動の結果ばかり追い求め要求してしまう。そう言うのに敏感なのですよね。
こんにちは。
にゃんさんの言われることには、よくわかりました。
一方で、引きこもり脱出は時間との勝負と言われる先生もいます。
長引けば体が弱る。世間の受け入れが厳しくなる等。
人によると思います。
周囲が無理矢理出して、それで、立ち直った人がいる。それもまた、事実です。
当事者の人生の選択です。
今の社会保障を維持するのに、消費税は30パーセントくらいにしないといけないみたいです。
ひきこもり自身の人生を考える。確かにそうです。
けれど、日本全体が滅びたら元もこもない。
支える側の人の方が少ないという現状も無視できません。
日本は不景気です。企業も収入の方が多ければ、高い給料を払えます。けれど、そうはいってないので、ブラック企業というののが誕生してしまいました。
企業に勤めるのが嫌なら、自分で自営業をはじめるしかありません。
政治家もいろいろ考えているとは思いますが、すぐにどうなるものでもありません。
現実、起こっている不幸な現象は、嫌だと泣いてわめこうが事態が変わるわけでもなく、お休みする方は休む。動けそうな人は、出来そうなことから動いてみることですよね。
大きな地震が来るかもしれない。火山が爆発するかもしれない。逃げられる、準備だけはしててください。
カフェインさんへ
参考までに。
ACA(アダルト・チルドレン・アノニマス) http://aca-japan.org/
基本的にこういった自助グループは、言いっぱなし・聞きっぱなしのルールと、守秘義務の約束が徹底されています。
言いっぱなし聞きっぱなしというのは、話す人は他の人の話への意見、批判はもとより感想も禁止、そして聞く人は自分の聞きたい話だけ頭に入れて、あとは聞き流す、というものです。
これをやり続けると、「安心して」、今まで人には絶対に言えなかったような事を話せますし、また他の人がそういう話をしたら、あ、いまなら私もあの話が出来るかもしれない、という風になりやすくなります。
そして、そうしてずっと押し隠されてきた「自分」の話が、他の人に受け止められることで、その「自分」を隠す必要がなくなり、その「自分」を責めなくなっていきます。
責める自分、責められる自分の戦いは、そうして少しずつ和解、統合への道を辿っていく、と私は体験上そう思います。
色々とありがとうございます。
自分は今、もう一度受験してみようと頑張っています。
眠れない日もありますが、それなりに人間らしい生活を
送っています。
自分の経験については、やはりまだ直接人に話す事は
出来そうにありません。感情的になってしまうので。
少しずつ前に進んで行けたらと思います。
あきさんへ
遅くなってすみません、まずは前スレへのレスから。
ひとつ、「子」の立場からお話させて頂きましょう。
私の母も、あきさんと同じように健康食品などに拘りがありました。
私が子供の頃、母は母なりに、一生懸命私のことを考えて、色々と私のためにしてくれました。
母が母の経験に基づいて、それに加えて色々なところから得た知識も総動員して、まさに母は私のために頑張ってくれました。
私はそのことを誰よりも感じていました。
でもね、お母さん。
そこには、肝心の私の気持ちは入ってなかったんだよ。
私には、深い罪悪感がありました。
母が私のためにしてくれる事を受け取れない自分と、ありがとうの気持ちが持てないことに。
そしてその罪悪感を隠すために、母に怒りをぶつけたりしました。
あなたのためを思ってやっているのよ、五体満足なのはありがたいことよね、アフリカの貧しい子たちに比べたらあなたは幸せなのよ、何不自由なく暮らしているのになにが不満なの?、どうしてありがとうって素直に言えないの?
母からの陰に陽に示されるそれらの言葉が、私を締め付けていました。
今なら、はっきりとわかります。
母が私に与えてくれたものを私が受け取れなかったのは、私のせいじゃない、と。
母はただ母自身にとって良いと思ったものを私に与えて、母とは違う私がそれを受け取れないことを、「我儘」とか「自分勝手」とか言っていました。
でもね、それは、自分と他人の区別のついていない、お母さん自身の問題だったんだよ。
今なら、私ははっきりとそう言えます。
そして、深く、怒りを感じています。
私は、母に大切にされました(と私は思う)。
でも、それは私という、母とは別個の人格を有したひとりの人間としてではなく、母の抱く人形のような扱いでした。
私は、子供の頃、母に抱きしめられるたびに、虚ろな気持ちになりました。
まるで、自分の体が人形になったような感じでした。
お母さん、私はそこにはいないんだよ。
私は、どこにいるんだろう・・
あきさんの息子さんとお話したことが無いのでわかりませんけれど、私は息子さんは、必死に「自分」を守ろうとしていらっしゃるのだと思います。
二十歳を過ぎた立派な成人男性を母親が抱きしめたって、それは気持ち悪がられますよ(笑)。
重要なのは、あきさんが息子さんから子離れすることだと私は思います。
そして、ひとりの女性として、心の底から幸せになって、その幸せの笑顔で息子さんと接すればいいのだと私は思います。
とはいえ、実際の今の母親ではなく、息子さん自身の中の、内なる母親のイメージが変わることが重要なのであって、それはたとえば、あきさんではなく、息子さんを温かく受け入れてくれる他の大人の女性からそのイメージを得てもいいし、それは小説やアニメのキャラクターからでも構わないと私は思います。
その内なる母親のイメージが健全に成長しそれに抱き締められたときに、もう実際の母親をどうこうしたり反抗したりする必要が無くなり、本当の意味で息子さんは自立へと向かえるのだと、私は考えます。
パソコンやゲームなどは、正直言いまして、私はそれが出来るならどんどんやればいいと、会う人ごとに言っています。
確かにそれは嗜癖(依存)かもしれませんが、そういうものに打ち込んでいる間、少なくとも親や世間からの同調圧力から離れて、「自分」でいられるというひとつの「効用」がそれにはあるのですから。
そうした安全を確保したところから、正常な人間関係を築いていけると思いますし、その意味ではネットなんていうのは、ひきこもりさんにとって大切な命綱です。
安全でない関係を他者と結んだ状態のまま、いくら外の世界に出て頑張っても、さらに傷を深めるだけなのではないでしょうか。
逆に言えば、安全で正常な関係を結び直すことが出来る土台があるからこそ、人は世界の荒波に揉まれながらも生きていけるのだと私は思います。
息子さんはきっと、ご自分のその土台がボロボロになっていることを、感じているのではないでしょうか。
あきさんと息子さんの違いは、その事を無意識にでも理解しているかどうか、なのだと私は思います。
息子さんだって、ゲームばかりじゃなく外に出て色々経験したくないわけがありません。
でもそれでも、そうしてでもなんとかしなければいけない「問題」と、息子さんは向き合っているのかもしれません。
そして、その「問題」に晒されながらも、なんとかゲームやネットをすることで生き延びているのです。
それを取り上げては絶対にいけないと、私は思います。
プライド云々の話は、恐縮ですが、私は非常にわかる気がします。
プライドというのは要は、自分の自尊心の低さを隠すための分厚い鎧です。
なにかから自分を必死に「守って」いるのです。
あきさんの事を馬鹿にしているのはつまり、あきさんから、自分を守っているのではないでしょうか。
そんな分厚い鎧を必要とするほどに、息子さんの自尊心は痛めつけられているのかもしれません。
学歴がすべてじゃないというのは私も同感ですけれど、息子さんにとっては、学歴以外他になにもないほど既に追い詰められているのではないでしょうか。
そのことを認識することが、まず大事だと私は思います。
あきさんのお顔のことを息子さんが受け入れたくないというのは、もしかしたら、息子さんはあきさんの本当の心の叫びを聞きたいからなのかもしれません。
我慢すんなよ、辛いんだろ、苦しいんだろ、なに隠してんだよ、と。
息苦しさを、感じているのかもしれません。
母親の気持ちを、救おうとしているのかもしれません。
受け入れたくない状況や問題を、解決しないまま、我慢して受け入れていく、それが大人になることなんだ、人間というものなんだ。 息子さんは、そのような人生訓になにより怒っているのかもしれません。
ふざけんな、一番の土台がぐちゃぐちゃのまま成長しろとか、無責任なこと言うな、と。
足の骨が粉砕骨折しているのに、治療もされずに前に進め歩けと言われているようなものでしょう。
息子さんは、家族のそうして隠蔽されて素通りされていく問題を解決しようとしている、そのためにひきこもるというアクションを起こしたのかもしれません。
私はひきこもり当事者という言葉は好きじゃないのですけれど、それは問題を矮小化して、ひきこもるというアクションを起こした人に問題と責任を帰結させる、更なる問題の隠蔽化が行われてしまうからです。
問題は、家族という場、そして機能に起きていたのです。
あきさんが、そして他のご家族が隠蔽し、抑圧し、否認している様々なことと向き合うために、色々と支援が必要だと私は思います。 家族の、ほんとうの幸せのために。
そうして収まるべきものが収まるべきところに収まったとき、、やっと、「家族の問題を解決すること」に「嗜癖(依存)」していた息子さんは、ようやくそれから手を放して、自分自身の問題、すなわち生き辛さの問題、これからの人生などに「現実的に」向き合えるようになっていくかもしれません(無論、要第三者の支援)。
私は、ひきこもりさんは、とてつもない親孝行さんだと感じています。
私は、ひきこもりさんとご家族の問題をそれぞれ整理して解決していくのが、一番の近道だと考えています。
続きです。
あきさんは、辛いおもいをしてきたのですね。
お母さんには理解も助けても貰えず、そのことを受け入れるしかなかったのですね。
それだけでも辛いのに、お父さんには無茶苦茶な理不尽を言われてしまって、ほんとうに、どうしようもなかったのですよね。
辛くて、苦しくて、助けてほしくて、憎くて。
きっとたくさんの感情があって、そして、きっと、そうした感情を抑えなければ生きてはいけなかったのではありませんか?
だって、子供は無力ですから。
親の言うことを聞くしかないし、悪いのは自分だとおもうしかありませんから。
なんにも子供は悪くないのに。
子供は親に守られなければいけないのに。
あきさんは、ひどい体験をしたのだと、そのことを声を大にして語ってよいと、私は思います。
すみませんが、私はあきさんの仰った宗教の教義には興味がありません。
ただあきさんが、宗教に嗜癖(依存)しているのを私は感じて、でもその嗜癖を必要とするほどに、それが無ければ生きられないほどに、あきさんは辛いおもいを抱えてしまっているのだと、感じます。
あきさんの体験を、「ひどい」と語ることが、許されないほどに。
私はあきさんの宗教のお話は、あきさんの体験から感情を抜き取って、あきさんをロボットにしてしまうもののように感じました。
お父さんにひどいことされたと感じたのに、それを完璧な人間はいないのだからしかたない、自分を育ててくれたのだから感謝しよう、だなんて、だいぶ色々なものが隠蔽され否認されている感じが私はします。
それはあきさんの子供の頃の、親の理不尽を「受け入れるしかない」というのを、より巧妙に形を変えて繰り返していませんか? 親から受けたひどい仕打ちと同じことを、あきさんご自身に、そして、息子さんにしてしまってはいませんか?
不躾なことを続けて言って申し訳ないですが、私は、あきさんは親から受けた「ひどい」仕打ちをもう一度詳しく思い出し、検証し、それと同じことを自分がしていないかを点検する必要があると思います。
私は、本当の感謝は、自分が受けた「ひどい」体験を、しっかりと怒り、思い切りそれらの感情を感じ切ったあとにしか、生まれてこないと思います。 あきさんのお話では、感謝が、「ひどい」という感情の「否定」として使われているように私には見えます。
そうして自分のつらい感情や怒りを「感謝」という形で否認しなければ生きられない、そうなってしまってはいないでしょうか?
息子さんは、そのあきさんの欺瞞を目の背けようがないほどに見抜いてしまったのかもしれません。
「おかあさんが、そんなことやっているから俺はこうなった。」。
すごいですね息子さん、それは私が全く親に言えなかった言葉です。
あきさんが宗教をしていることではなく、あきさんが感情に欺瞞を抱えていることを指しているのかもしれません。
だから、あきさんが宗教を通して「幸せ」になっても、息子さんはそれを絶対に認めないでしょう。 その幸せは、偽りだから。
そのあきさんの、ご自身の感情を切り捨てて成る「幸せ」を破壊するために、息子さんはひきこもっているのかもしれません。
感情を取り戻す。
それがテーマなのかもしれません。
私の母も、そういう人でした(そう私には見えていた)。
ひとりだけ幸せな感じを演出して、ひとりで勝手に思い込んで、ひとりで色々なものを我慢して誤魔化して。
母の笑顔が、私は怖かったです。
この人は本当にこのまま終わらせてしまうのだろうか、なにも問題無い顔して、色んなものを切り捨てたまま、一生を終えていってしまうのだろうか。
やめさせたかった、なんとかしたかった、私がしっかりしなければ、私がなんとかしなければ・・
ただ母の望むままに行ったら、このまま終わってしまう、だから・・・
気付けばひきこもっていました。
そして、たとえそれが偽りのものであっても、その母の幸せ(子が普通の人生のレールを歩くという幸せ)を破壊する罪悪感に駆られていました。
どうすればよかったんだろう。
私なんか初めからいなければ、この人は自分の欺瞞を暴かれずに、それなりに生きていけたのかもしれない。
でも・・それでいいのか・・
そうじゃないよ
お母さんの人生はお母さんの人生だよ
ただ・・お母さんに私の気持ちと向き合って貰えなかったから・・
私は、さびしかったんだよね
今の私は、あの頃の私にそう言ってあげられます。
母自身の問題に介入して、自分の問題(さびしさ)から目をそらすという、それが私の共依存だと理解しました。
そして、共依存というやり方で、偽りの「幸せ」を作り出そうとしていました。
つまり、母と同じことをやっていたのですね。
継承していたんです、私はその点に於いて母とそっくりです。
私はそれに気づくことが出来ました。
そして、それを断ち切り、新しい生き方を私に、そして「ついでに」家族に示したい。
母の問題は母が解決するべきことで、私が解決する問題ではない。
私が解決するべきは、私自身の問題。
それが今の私の要にあることです(といいつつだいぶあきさんの問題に介入してますね、すみません)。
あきさんの仰るハングリー精神が無いとか幼いという今の世代の人たちは、上の世代の人たちが隠蔽し、素通りしてきた問題を、思い切り背負い込み、受け止め、必死にそれを解決していこうとする事が出来るほど、ものすごい力を持っているのだと、私は感じています。 それを是非感じて、そして今の人達の、息子さんの力を信じて頂けたらなとおもいます。
それが子離れの始まりだと、私は考えています。
そして、あきさんの抱える問題、そして満たしたい隠れた欲求を解決し叶えるのは、あきさん自身です。
息子さんを使ってそれをすることはできませんし、してはいけません。
息子さんがあきさんに反感を持ち距離を取ろうとするのは、子離れ親離れを求めてのことで、とても健全なことだと私は思います。
息子さんの世話焼きという名の支配をするのは、もうやめて、息子さんを手放して、ご自分の人生を責任持って歩いてください。
それが、「子」の立場にある私と、そしてあきさんと同じく辛さを抱える者としての切なるおもいです。
自分の辛さ(トラウマ)と向き合うのは大変な作業です。
ゆっくり自分のペースで、出来ることからでいいと思います。
そしてなにより、ここまでその辛さを抱えながらも、嗜癖を使ってでも生き延びてきた、そのご自分の力を信じてみてください。
私は、あきさんはよくがんばったとおもいます。
私は私の母にも同じように思います。
私は、あきさんの宗教の教義も、なぜ安心できないかもわかりますが、その健康食品とか親の無理解の言葉とか。
教義が、板挟みになり苦しさを増しているのではないかとのにゃんさんの言葉もわかります。
学歴に子どもがこだわっているのだって、無為自然になるわけではないのですよ。そうインストールしたんですよね、親が。それで失敗すると、親の親も失敗したという。許すのは大事ですよね。でも上から、許せどころか、感謝せよだと、それが正当でも頭に来るのは自然なことに思える子どもも多いのもわかります。にゃんさんは、怒るというか、はっきり言うのも大事だと思っているでしょうね。
でも、一番大切なのは共感することですよね。
あきさんがお父さんに怒りを抱いたいた経験があるのだから、共感できないはずはないと思うのですか、そういった共感より行動の結果ばかり追い求め要求してしまう。そう言うのに敏感なのですよね。