隠居生活している自分の父が昨年末に心筋梗塞で倒れて以降、少しだけであるが連絡を取る機会が増えている。
今でも嫌いなことに変わりはないが、おそらく先は長くはないお互いに接する時間はできるだけ相手にしてやろうと思う。
しかし、年寄ってのは身体は衰えても私欲は衰えないものですな。
たまに電話、手紙があるのだが所々親父面をするのが鬱陶しい。
長らく論じてくる内容の中に年金がある。
論ずる内容はさて置き、自分がその度に感じるのが『なぜ、保証があるか判らない何十年も先の事象のために現在を虐げなければならないのか?』である。
現に年休受給をしている親でさえ毎年支給額が減額されているのに、どうして父は信じているのだろうか?
度々投稿しているが、過去~将来の時系列の中で自分が最重視しているのは「現在」なのだから何を論じても考えを変えるつもりはない。
神奈川県 獅子鉄
生きてる保証もない。
テレビでも映画でも「過去が―、未来が―、」だもんな。
今を見させてくれって言いたい。