35年間ソーシャルワーカーをつとめ、横浜市の保健所勤務時代に全国で初めて家族教室や当事者グループを発足、また全国で初めてひきこもりとうつの若者が通える地域活動センターを仲間と開設するなど、先進的なひきこもり支援の経歴を有する白梅学園大学教授の長谷川俊雄さん。
今回は2015年10月28日に神奈川県厚木市の厚木シティプラザにて行われた「平成27年度厚木地区ひきこもりを考える家族セミナー(全3回)」のうち、長谷川さんが登壇した第1回目の講演「『ひきこもりの理解と支援 』親に求められること 」の模様を、2回に渡ってお届けします。

(報告:ヒューマン・スタジオ 丸山康彦)



良かれと思ってやってきたことが暴力に


長谷川俊雄氏

会場はほぼ満席。
平日の日中だけに母親が多かったが、そのなかに混じって父親の姿も若干見られた。
経歴や得意分野など長谷川さんの自己紹介に続いて、講演は親御さんへの警鐘と苦言で始まった。

「(本人の)許可なく導くことや過剰に心配することは、暴力になります」

この“先制パンチ”にショックを受けた親御さんは多いのではないだろうか。自分たちが良かれと思って考えてきたこと、やってきたことは暴力だったのか…と。
しかし、それからの2時間で、実例を挙げながら本人の心理を解き明かし、どんな対応や言動がよくないか、を例示することにより、親の対応のコツを伝授していく。

最初に話したのは、ひきこもり状態にある本人への見方だ。
たとえば、地域活動センターに初めて来所した若者に、長谷川さんは「ご苦労様。よくひきこもってるね、偉いよ」というところから始めるのだと語る。
マイナスの評価と叱咤激励から関係性を始めているかぎりは、信頼は得られないのだと。

歌詞に託された本人の心理


大学の教員紹介のページに掲載されていた長谷川さんのアドレス宛には、ひきこもりに関する相談メールが来るように。
「その中から、許可が得られたものを少しご紹介したいと思います」と言って、まずはオリンピックに関連したメールを取り上げた。

オリンピック開催期間中は、各テレビ局でテーマ曲を用いて放送していて、それを視聴した当事者から、それぞれのテーマ曲の歌詞に自分の思いをのせたメールが増えるという。
アテネオリンピック開催時には、NHKでテーマ曲だった「栄光への架橋」に対し、「そんなに(歌詞にあるように)頑張れない」などといった気持ちを抱き、NHKではなく民法の放送を観ていたというメールがあった。
またテーマ曲についてだけでなく、試合を通じて親子のコミュニケーションを考えさせられるこんなメールも届いた。


「アテネオリンピックで、柔道の井上康生選手が二連覇はもとよりメダルを逃したとき『悔しいだろうな』『悲しいだろうな』『情けない気持ちだろうな』とつぶやいた。ところが横で父親が『努力が足りないんだよ』と言った。だから親には本音を話せない、と思った。」


こうやって親子のコミュニケーションが閉ざされていく。
本人がつぶやいた言葉には、自分の学校/社会に戻れない現状に対する気持ちを、井上選手に託して語るという意味がある。
けれども親は本人の思いには気づかず、ずっと前からこのように決まり文句を言って終わらせる“水戸黄門”のごとく、子どもに接していたのだ。
だからひきこもる前から子どもはだんだん語らなくなっていく。「あんたそんなことで社会で通用するの」「努力してないからでしょ」等々。「悔しい」「悲しい」「情けない」気持ちに誰も寄り添ってくれない。
だったら言ったって傷つくだけだ、と言わなくなる。

話は次の北京オリンピックに移る。
NHKで北京オリンピックのテーマ曲だったミスチル(ミスターチルドレン)の「GIFT」という曲とそれにまつわるメールだ。この曲は本人たちに大好評だった。


「学校に行くのか行かないのかと、親も先生もいつも聞いてくる。そして学校に行くのが当たり前だと、最初から答えを求めてくる。ミスチルの桜井さんのように(歌詞にある)白と黒の間の『自分色』を見つけることをなぜ認めてくれないの?」


長谷川さんはこれに「自分を大切にしたいから自分と一生懸命向き合っているんだね。すごいよ。悩む力、悩み続ける力、ごまかさない力、そういう力を感じたよ。
悩む力と助けてという力があれば生きていけるから大丈夫」と返信したと語り、もう一通のエピソードを紹介してからミスターチルドレンの「GIFT」を会場に流し、歌詞を紹介した。

曲が終わったあと、長谷川さんは会場に問いかけた。

本人からのメールには「親に“家にいるのか?外出するのか?”と問われ続けている。しかしその間にいろいろな選択肢がある。自分がこれだと自己決定で選択した道を、保障してくれるおとながいたらどんなに楽だろう。そういうおとなが周りにいてほしい」と書かれています。
お父さんお母さんさんが、そういう人になったらいいですよね。
「出るの出ないの?いつ?」じゃなくて「どうしたい?どんな夢や希望を持ってる?そのために何を困ってる?母さんにできることないかな?」そう言えたら、そういう人になれてるんじゃないでしょうかね


続いて紹介されたのは、いじめにあっていたにもかかわらず、担任から「お前の勘違いか神経質すぎるのでは?」と事実確認もされず、一方的に問い返されて学校を信じられなくなってから5年間のひきこもり生活を送っている人のメール。


「この苦しい気持ちを誰かに吐き出したい。外出して誰かに話しかけてみようかな。でも傷つくことが怖い。ラジオで自分と同じひきこもりの人のリクエスト曲『決意の朝に』という曲を聴いて『僕がいる、僕の気持ちだ』と感じられた。これも僕なんだと腹をくくれればどんなに楽になれるだろう。僕にもそんな決意の朝が訪れることを祈って。」


一番人気の曲だったというアクア・タイムズの「決意の朝に」―本人たちはなぜこの曲が好きなのか。
尋ねると共通して「つらいときつらいと言えたらいいのにな」という部分だという。
救助信号を発信しないというのがひきこもりの若者に共通する特徴だ。だからご両親は助けに行こうとするが、その方法がミスマッチなために緊張と対立関係を生んでしまうと長谷川さんは言う。

ここがすごいミソなんです。お母さんはよく「天気がいいから散歩くらい行ったらどうなの」という。
けれど子どもたちは「だったらお前たちが散歩しろよ」と思ってるんです。
意味もなく果てしなく歩き続けられるか。向かいたい場所があるから行けるんです。
本を買いたい、DVDを借りたい、という欲望の対象がなければ出ようとは思わないんです。
お父さんお母さんは、玄関から一歩でも出ることをうれしがっちゃう。でも彼らはそんなことでは出られないんです。
そこにミスマッチが生じている、ということが言えると思うんですね。
彼らは、同級生の多数派と一緒に歩かなくていいんだと決意してるんですよ。すごいですよね。
でもお父さんお母さんたちは「5年間のブランクを取り戻せ」「早く追いつけ」「多数派と同じ道を歩め」と語りかける。
無理ですよ。ひきこもった瞬間からそれは無理なんです。
人と違う道を歩んだら不幸になるんですか。
皆さんも経験あるんじゃないですか。行きたい高校、行きたい大学に行けなかった、人生全部真っ暗になりました?なってないはずですよ。それなりに達成感、充実感を手にして生きてこられたんじゃないですか?
だったら子どもにもそれを保障しましょうよ。「いいんだよ」って。「あなたが無理しなくて楽しいと思える、そうした人生でいいんだよ」「母さんその歩みを応援してるよ」って


こうして、メールや歌詞などを引用しながら、ひきこもり本人の心理を丁寧に解説していった長谷川さんの言葉を、記事の最後に箇条書きという形で紹介したい。


―ちゃらんぽらんな人は絶対ひきこもれない。他人の責任にしたり小さな嘘をついたりできない。だから社会との関係で傷つく。くそまじめで誠実。糸が張りつめている。私たちの糸はゆるみがあるから揺れがあっても切れない。

―完璧に自己決定できないかぎりはGOサインは出ない。親からの「こうしたら、ああしたら」という提案系の助言は無効。「本人が何とかしようとしないと解決しない問題である。ただし子どもが何とかしたいと思える環境はつくれるし、足を引っ張らない環境をどうつくるかということは親御さんができること。それを丹念にやること。

―外からは見えないが毎日葛藤している。皆さんは毎日葛藤しているのか。私たちは葛藤しないから動けている。彼らは葛藤しているから動けない。葛藤の苦しさやしんどさに共感してあげなければ彼らは復活しない。

―ひきこもりの若者は強迫的。「こうしなければ」「こうすべきだ」と。ひとつでも欠けると「もうダメ」と、そんな感じになってしまう。

(後編では、家族のあり方・接し方について語られた内容をお伝えします。)



※ 読み上げられたメールを執筆者(丸山)が再構成しました。

講演会で紹介された曲(ミスターチルドレン(Mr.Children)「GIFT」、アクア・タイムズ(Aqua Timez)「決意の朝に」)は、インターネット検索で歌詞の全文を読んだり、公式のプロモーションビデオで音楽を聴いたりすることが出来ます。ぜひ本記事と併せてご覧下さい。

【長谷川俊雄】
社会福祉士、精神保健福祉士
1981年より横浜市役所の社会福祉職として勤務。その後、精神科クリニックでソーシャルワーカーとして勤務。2010年より白梅学園大学教授。社会福祉制度やソーシャルワークが取りこぼしている青少年問題と家族問題に関心を寄せて実践と研究に取り組んでいる。
NPO法人つながる会(横浜)代表理事。NPO法人フリースペースたまりば(川崎)副理事長。

【丸山康彦】
1964年東京生まれ。不登校のため7年かけて高校を卒業。大学卒業後、高校講師となる。退任後ひきこもり状態になり、社会復帰に7年を要した後、個人事務所を経て2001年に民間非営利相談機関「ヒューマン・スタジオ」を設立し代表。


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