ひきこもり未満表紙

池上正樹 集英社新書 2018年 251ページ

一括りにはできないひきこもり当事者の悩み

著者の池上正樹さんは、ダイヤモンド・オンラインで「「引きこもり」するオトナたち」と題し、ひきこもりについてさまざまな視点から取材した記事を隔週で発表しています。本書は、9名の生きづらさを抱える人たちに取材をしたルポルタージュになっています。

さて、ここで「ひきこもり」ではなく「生きづらさ」と書いたのは、本のタイトルにもあるように「自分は「ひきこもり未満」である」と自認した人もいるためです。このことは最後に触れます。

本書で紹介される9名は、その多くが仕事で同僚や上司から何らかの圧力を受けた経験があります。高圧的な上司に長時間の残業を強いられる、Uターン就職したが高学歴のためにいじめの対象となるなどのパワハラ・セクハラを受けたと告白しています。 「レールから外れた人たち」という副題が象徴するように、やむを得ず仕事を辞めた人が再び仕事に就くことは、心的なダメージや家庭の事情もあり難しくなります。ハローワークや支援機関に相談するケースもありますが、就労ありきの対応をされているように感じるといいます。これは、従来の「ひきこもり支援」のゴールが「就労」や「結婚」にあると考えられてきたことが一因なのかもしれません。しかし、なぜひきこもりにゴールが必要なのかという本質的な議論は、これまで十分になされていないといえます。

ありのままを受け止めてくれる存在

社会に出てからひきこもらざるをえなかった人たちがいる一方で、理解のある企業に助けられた当事者もいます。中学生のときから登校拒否を続けた高橋さん(仮名 当時29歳)は、40代、50代の高年齢化したひきこもり経験者を雇用しているエリア警備の会社で働くことになりました。そこでは「履歴書の空白」を気にしていないといいます。また、気が向いたときに月1回程度で働くこともできます。高橋さんは本音トークができる同僚たちにも恵まれ「自分のことを隠さずに、本音で受け入れてくれる人たちが必ずいる。そういう人との出会いを大事にしてほしい」と話しています。

筆者もそれまで取材してきた経験から、このように書いています。

>他人との関係性がなく、遮断された世界にいる人たちの多くは、筆者とのやりとりを通じて、これまで「自分の話を聞いてくれる」「自分の思いを受け止めてくれる」人が周囲にいなかったと明かす。そんな当事者たちが、自分を認めてくれる存在に初めて出会えて、自分の出した考えやアイディアが実現したりカタチになったりすることで、劇的に変化していく姿を、筆者はたくさん見てきた。

当事者が同じ思いを持つ人たちとつながり、自分のことを話せる場の紹介として、本書では「ひきこもりフューチャーセッション庵―IORI―」などの、当事者がアイディアを持ち寄り運営できる対話の場を紹介しています。

社会からこぼれ落ちてしまう「ひきこもり未満」

さまざまな当事者のリアルを描いているルポルタージュだけど、筆者がもっとも筆に力が入ったであろうケースがあります。それは、著者が約1年にわたりやりとりを続けていた柴田さん(仮名 当時41歳)です。彼は著者への最初のメールでほのめかしたように、その後自死を選ぶことになりますが、それまでのやりとりを克明に記しています。

柴田さんは、いわゆる就職氷河期世代。高校生の途中からひきこもり、その後はアルバイトや派遣で収入を得ていましたが、派遣の契約が切れたのをきっかけに再びひきこもり状態になりました。さらには両親との埋められない隔絶があり、貯金も目減りしていきました。まさに「孤立無業」の状態だったといえます。

柴田さんは筆者とのメールで、常に自死を意識したような言葉を綴っていたそうですが、その一方で著者の助けを借りながら自助会の主催を計画したこともあります。自分と同じように「ひきこもり未満」の、経済的な問題に特化した人たちの話を聞きたかったのだといいます。結果的にそれは流会となりましたが、後に形態を変えて4名で会合をしています。

そこで柴田さんが話した内容を汲んで、著者はこのように書いています。

>柴田さんがかねがね言っていたのは、当事者たちが語る課題のひとつでもある「居場所格差」の問題だ。雑談や人間関係が苦手な人ほど、居場所にいる利用者たちの輪に入っていけない。 特に「ひきこもり」状態などの社会的孤立状態が深かった人にとっては、居場所の手前のようなものが必要だ。 弱者になると、どんどん弱者にされていく。一度、弱者に落とされると這い上がれなくなる。……

社会的に孤立し困窮した人々とつながるにはどうしたらいいのか。社会の責務として考え続けなければいけない課題だといえます。

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