大阪ハムレット 2 (アクションコミックス) 森下裕美 2007年 双葉社 148ページ

前回は「十三の心」という作品を紹介しました。今回紹介するのは、同じく2巻に掲載されている「大阪踊り(前編・後編)」です。

「大阪踊り(前編・後編)」

【あらすじ】※ネタバレ注意 主な登場人物

ハナコ……イギリスの名門校でバレエを学んでいた。34歳で実家に帰り、バレエ教室を開く。 エリカ……ハナコのバレエに一目惚れし、バレエ教室に通う5歳。 エリカの母(史子)……家が八百屋で、エリカをバレエ教室に通わせている。ハナコと仲がいい。 のりこ……バレエ教室に通っているが、人に背を向けて座ったまま、誰とも話さない。

(前編) イギリスの名門校でバレエを学んだハナコは、実家に帰りバレエ教室を開業。見学に来た5歳のエリカは、ハナコのデモンストレーションに感動し、バレエ教室に通わせてもらうことに。肥満体質のハンデがあるも、努力の甲斐あって徐々にステップアップしていく。しかし、生徒の中には背を向けて座ってばかりののりこもおり、誰とも話そうとしない彼女に、ハナコはどうやって接したらいいか分からずにいる。 周囲からは天真爛漫に見えるハナコだが、心には鬱屈とした思いがのしかかっている。「踊りさえあれば幸せ」な一方で、踊りしかしてこなかった自分に苛立たしさを覚えている。その折にハナコは、母親が友達に対して自分の悪口を言っているところを聞いてしまう。ハナコは思いあまって、友達が帰った後に花瓶で母親の頭を殴る。しかし、そこへ偶然エリカの母・史子が訪れてしまう。 その時、ハナコの母親が起き上がる。すると史子は機転を利かせ、ハナコの母親は転んで頭を打った。記憶喪失かもしれないと説明し、病院に連れていく。

(後編) ハナコの母親は大したケガにならず、ハナコに殴られたことにも気づかぬまま退院した。しかし、ハナコは母親のケガを理由にバレエ教室を休んでしまう。見かねて訪れた史子にも辛く当たってしまう。 一方、バレエ教室が休みの間も熱心に練習していたエリカ。休み中の教室に勝手に入り練習を始める。演目は「ドン・キホーテ」。教室にはのりこもいる。 外から帰ってきたハナコはエリカが踊っているのに気づき、ドアの窓からその様子を心配そうに伺う。エリカは苦労しながらも、練習の成果が出て演目を踊りきる。すると、それまで座ってばかりいたのりこが立ち上がり、笑顔を見せた。これを見たハナコは涙を流しながら教室に入り、そのまま2人を相手にバレエ教室を再開する。

書評

本作品では、のりこというひきこもり状態にある子どもが登場する。一方、主人公であるハナコは、自分が好きなバレエの道を極めるべく、ずっと踊りを続けてきた。そのことには本人も全く迷いがない。その後も実家でバレエ教室を開くなど、美貌もあって周囲からは好きなことをして暮らすハナコに羨望の眼差しが向けられる。一見のりことはまったく異なる人生を歩んでいるハナコだが、本作の中で何度も自分の心の内をのりこの状態と重ねあわせている。ハナコの心情を読み解くことが、作品の肝となりそうだね。

前編で、体育座りして壁を向いているだけののりこを前に、ハナコは「のりこちゃん アタシはアンタといっしょや。この場所から一歩も動けてへん」と、意外な悩みを吐露する。「好きなことをし続ける」ことは、本人にとって最も気持ちの良い生き方だね。しかし、人生はふと振り返った時に空恐ろしさを感じる場合もある。「好きなことしかしてこなかった」ということが、負い目となるんだ。プロ野球でも戦力外通告を受けた選手の特番を毎年やっているけれど、多くの選手が再就職先に不安を感じている。その理由は「野球しかしてこなかったから」というものが多い。

ハナコの負い目とは具体的にどういうものなのか。それは、お母さんの自分に対する悪口を聞いてしまうシーンで明らかになる。お母さんの悪口とは、ハナコが「バレエの才能がなかった」「バレエ団からいらないと言われる前に、自分から辞めてきた」といったもの。これにハナコは逆上し、お母さんを殴ってしまうのだけど、そこに居合わせた史子に対し「才能ないとか、齢とって使いモンにならんとか…そんなんわかってる!せやけどずっと踊っていたかったんや アタシの夢も苦しみもなんもわかってくれへん」と、ずっと抱えてきた気持ちをぶちまけている。これがハナコが抱えている負い目なんだ。好きなことを続ける喜びと、技術が限界に達してもなお踊りしかできず、そして年老いていくことへの不安。二つの狭間から抜け出せない自らの状態を「この場所から一歩も動けてへん」と言い表していたんだね。

さて、後編では、ハナコがバレエ教室をお休みにしてしまう。それでも親に連れられてやってくるのりこを前に「じっとしてんのに不思議やなぁ のりこちゃん。死にたいとか生きたいとか 頭の中忙しいわ」と語っている。 生きるべきか死ぬべきか……まさにマンガのタイトル「ハムレット」のテーマが登場した。ハナコはここにきて、ひきこもりの当事者が日々考え悩む問題に行き着いている。以前「読んでみた。」で取り上げた「不登校・ひきこもりが終わるとき」では、当事者が「生きる希望を失うくらいの境地」に至ることがある、と書いてあったね。そして、それこそが「底つき」の状態であるとも記している。ハナコの頭の中は、まさにひきこもり当事者が抱える「精神的な生死の問題」と全く同じものなのだと考えられるね。

その後訪れる本作品のクライマックスでは、一生懸命バレエを学んでいたエリカが情熱的に演目を踊り上げ、のりこの笑顔を引き出す。バレエの持つ力を目の当たりしたハナコは「なにしても動きもしゃべりもせえへんかったのに エリカちゃん…あんたこそ女神様や!」「アタシも…もう一度踊らせて!」と口にし、感情のバランスを保っていた糸が切れたように泣きじゃくる。そして、踊ることの喜びに再び目覚める。 ここで象徴的なのは、エリカの踊りが、のりことハナコの心を同時に動かしたことだ。のりこは作品を通して何も変化がないようだけれども、ハナコの心情の変化を追うように、あらゆる葛藤があった。ハナコが「死にたいとか生きたいとか」考えているその時、のりこも同様のことを考えていたのかもしれない。そして独りで奥深く悩み続け「底つき」にあった二人は、同じタイミングで新たな喜びに目覚めたと考えられるかな。

「十三の心」「大阪踊り」を見てきました!この二作品は、ひきこもり状態が誰もが抱えうる悩みや葛藤の延長線上にあることを鋭く描いている。特に「大阪踊り」では、当事者の「底つき」にある感情がまるでそのまま表現されていることに驚いたな~。

今回は2つの作品しか紹介できなかったけれど「大阪ハムレット」には他にもひきこもり状態と関連のある物語がいくつかあるよ。どれも深く考えさせられるものばかりなので、興味のある方は読んでみてね!

「読んでみた。」の最新記事

ひきこもり本マイスター

星こゆるぎ

こゆるぎが書いてます。 おすすめ本があったら、投稿コーナーから教えてくださいね。