孤独論 逃げよ、生きよ

田中慎弥
徳間書店
2017年
181ページ

2012年に「共喰い」で芥川賞を受賞するなど、作家として目覚ましい活躍を続けている田中慎弥さん。本書は田中さんの口述筆記で構成されているよ。マイナスな意味に捉えられがちな「孤独」という言葉を深堀りし、ひとりになり考え抜くことが生き抜くために必要なのだと力強く語っている。

田中慎弥さんには長期的なひきこもり経験がある。高校を卒業してから十数年、就労をせず山口県下関市にある実家にずっとひきこもっていたという。ひきこもる中で何でもいいから「書くこと」を続けた田中さんは、二十九歳になってはじめて自分の作品を新人賞に応募。2度めの応募で新人賞を受賞した田中さんにとって、ひきこもり生活が作家としての素地を作ったともいえるようだね。

現代は誰もが「奴隷」にされている?

田中さんは本の冒頭で、私たちが「奴隷」になっているかもしれない、という表現を使って人々に警鐘を鳴らしている。これは、身体的に拘束されているという意味だけではないんだ。

毎日が残業続きで、起きている時間のほとんどを仕事に拘束されている人。体力の限界ぎりぎりまでハードな仕事を課せられている人。つまり明らかに追い詰められて、自分を見失っている人は、典型的な奴隷状態に陥っている。仕事(雇用主)の奴隷です。
……取り巻く環境や状況の如何にかかわらず、思考停止に陥っていれば、物事を考えるのが億劫になっていれば、あなたは奴隷といえる。

「 孤独論 逃げよ、生きよ 」 15ページ

一見、「悩みごともなく毎日働いて幸せを実感して生きているという人」であっても、マニュアルだけを重んじて思考停止に陥ってしまうと、自分の思っていることや発想を口にできなくなってしまう。奴隷状態に陥ると、会社や仕事という場に縛られ、理不尽だと思っても苦しいと思っても、現状を打破することができなくなる。顕著な例がブラック企業で、強権的な圧力の中にいると、思考停止して助けを求められないという例も少なくない。

思考が止まる前にすべきことは何か。田中さんは「逃げる」ことだと言う。

意地やプライドは余計な荷物だということを自覚してください。そんなものはどうでもいい。無様な姿をさらすのと引き換えに逃げられるのですから、安いものです。無責任のそしりを受けるのなら、それも言わせておけばいい。
そんなことより、自分の命を守り、生き方を取り戻す方がはるかに重要です。

「 孤独論 逃げよ、生きよ 」 26ページ

出社が辛いのであれば、会社を辞める。通学が苦痛であれば退学する。別の土地に移り住むなど、物理的に逃げることが、本来の生き方を取り戻す方法だと話しているよ。

命が脅かされているとき、逃げ込める安全地帯として田中さんが挙げているのが実家だ。実家に逃げ込み、一息、ふた息ついてみる。「ひきこもりは生きるための立派な術」とも書いている。

思考力を静かに蝕む「情報化」の罠

そもそも、どうして私たちは「奴隷状態」に陥り、逃げ出したくなるほどの危機感を覚えるのだろうか。そのひとつに挙げているのが、社会の急速な情報化だ。

インターネットは利便性が高い一方、人間が必要とする以上の情報を提供され、私たちの次の行動まで決めてもらっているような状態だ。例えば、インターネットで本を購入すると、AIに「あなたが興味のある本はこちらです」とサイトで紹介されるのもその一例だね。インターネットに支配されると自分の本当の欲求を見失い、情報を咀嚼することを忘れて消化不良を重ねてしまう。それに生きづらさを感じて疲弊してしまうのは当然だと、田中さんは主張している。こうした疲れを自覚したときこそ、思考停止状態から逃げ出す機会となるのかもしれない。

「孤独」はマイナスなことではない

社会では「孤独」であることは忌避されるけれども、人間は根本的に孤独であり、SNSなどでの交流は誰もが抱えている孤独を紛らわすための行動だとも、田中さんは語っている。もしひきこもっている中で孤独を感じていたとしても、人間は誰しも孤独なのだから、ことさらに思わなくても大丈夫だと話しているよ。

奴隷状態に気付いて逃げ出したとき「孤独」な状態に身を置くことになる。そして、田中さんはこの孤独な時間こそが思考を強化し、前進するために必要なのだと話している。このとき大事なのが、インターネットと距離を取ることだ。もちろん、完全にインターネットを遮断すべき、というわけではない。のめり込みすぎないように気をつけるということだ。独りだけの時間の中で読書をしたり、絵を描いたりして、自分だけの思考を積み重ねていく。壁にぶつかっても構わない。自分は無力だと感じたとしても、さんざん腐った後に自分のやるべきことを考えて、しっかり顔を上げて実行に移せばいいと言う。

読書を通じた生き方の模索

本書は、田中さんの経験や思考の断片を再構成したような内容となっている。そのため、仕事や学校から逃げたときにすべきことだとか、有意義なひきこもり生活の方法だとか、そういったノウハウを体系的にまとめているものではない。肝心な答えを得られないもどかしさがあるかもしれないけれど、散逸した言葉を読み取ろうとする行為こそ、思考の強化にほかならないのではないだろうか?この世界には、1人の人間の頭の中だけでは完結できない、様々な価値体系が散らばっている。田中さんは本書の中で「読書」という行為に並々ならぬこだわりを持っているが、読書により、自分の思考にはなかった新しい選択肢を得られることを知ってほしかったのではないだろうか。

理解できなくても、意味がわからなくても、とにかく最後まで読んでみる。きっとなにか感じるものがあるはずで、そのなにかを大切にしてほしい。
もし、つまらないと思ったとしても、それはそれであなたの発見です。つまらないと思えるのも立派な能力のひとつです。なぜつまらなかったのか、その理由を点検してみるのも有意義なことに違いありません。

「 孤独論 逃げよ、生きよ 」118ページ

社会的な奴隷状態を通じて、この本では読書を通じた生き方の模索にたどり着いた。人それぞれ、自分らしさを取り戻せる行為は異なるだろう。孤独に身を置くことは、自分自身を見つめて本当に欲していることを探し出す、そんな時間なのかなと考えたよ。

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