奇跡は準備されている表紙
「奇跡」は準備されている
オレグ・マツェイチュク
2014年
講談社
226ページ

なぜ「ひき☆スタ」でスポーツ本の書評なのか?

これまで様々な本を紹介してきた「読んでみた。」ですが、今回はスポーツの本を取り上げました!はじめにことわっておくと、こちらの本は「ひきこもり」を取り上げているわけではありません。ならば、なぜ「ひき☆スタ」でスポーツの本を取り上げるのか?それはズバリ、著者である日本フェンシングのオレグコーチがあまりにユニークだからです……だけでは答えになりませんよね。コホン。

では何がユニークなのか。

本書ではコーチの仕事を通じてたくさんのことに言及しているけれども、特に以下のことに注目して見ていこう。それは、スポーツを通じて深まっていく「会話」と、ウクライナ人である著者の見た「日本人」

ひきこもり状態には人それぞれに異なった要因があるよね。コミュニケーションを取ることの難しさ、日本社会で抱える生きづらさ……。切り口は違うけれども、こうしたひきこもりを取り巻くキーワードに、オリンピック競技のコーチという視点から真剣に向き合っているんだ。しかもこうした数々の難題について、理路整然と答えを導いている!さすが日本にメダルをもたらした名コーチ!ぜひ野球も勉強してベイスターズのコーチに……ゴホン。

まずは名コーチ・オレグについて知ろう!

著者のオレグ・マツェイチュクさんは1972年、ウクライナのキエフ生まれ。3歳の時に両親が離婚し、母と妹と暮らすようになる。フェンシングでは4度ウクライナ・チャンピオンになったものの、オリンピックに出る夢はかなわなかった。

しかし現役を引退した2年後の2003年、日本フェンシング協会からコーチのオファーが届いたんだって。フェンシングは1868年にアテネで第一回近代オリンピックが開催されたときの8つの正式競技の一つ。ところが、日本にとってその中でメダルを獲得していない唯一の競技がそのフェンシングだったんだ。背水の陣となった協会は、名前も実績もなかったオレグコーチに日本フェンシングの未来をかけていたんだね。

来日を決意したオレグコーチは、言葉や文化の壁、そしてもっと本質的なコミュニケーション意識の違いに困惑しながらも、根気強い指導で選手たちを育て、2008年の北京オリンピックで太田雄貴選手が銀メダル、2012年のロンドンオリンピックでは男子団体が銀メダルを獲得。「奇跡」と呼ばれたロンドンでの準決勝ドイツ戦では、太田選手が残り1秒で勝利ポイントを奪い、選手とコーチが歓喜の輪を作ったシーンを覚えている人も多いんじゃないかな(^O^)

以上のように日本フェンシングの歴史を変えたといっても過言ではないほど、目覚ましい実績を残してきたオレグコーチ。そして、2020年の東京オリンピック開催が決定した瞬間、椅子から飛び上がって大喜びしていたのが2度メダルを獲得した太田選手なんだ。日本フェンシングの強化は、東京オリンピックの開催をも後押ししたのだね~!実は、その時選考会の会場で流れた日本のPR映像にオレグコーチと太田選手の姿もあるんだよ。
Presentation by Tokyo, Japan(2人の登場する39分16秒に飛びます)

限りなく近いけれど友達ではない

今回の書評では、技術的な指導や大会でのエピソードなどは割愛し、はじめに書いたようなキーワードについて考えていこうと思うよ。まずは、オレグコーチが選手を育てるにあたって大前提としていることがある。これがとても大事なポイントとなるんだ。

[…]誰にでも才能があるわけではない。ある人の方が少ない。だからこそ、才能のある人もない人も含めて、スポーツはハーモニーのなかで人間を育てていかなくてはならない。すなわち肉体も、技術も、精神も、ちゃんと調和を保ちながら育てていく。
スポーツのコーチの役割も、この延長線上にある。

練習や勝負に対しては厳しく臨むオレグコーチ。結果が求められる厳しい世界だけど、勝利を追い求める過程には、人間を成長させるプロセスも伴っていると、オレグコーチは考えているのではないかな。

オレグコーチの練習方法はとても論理的なんだ。選手たちの年齢や性格を把握し、段階を想定した育成を行う。練習内容については「なぜそうするか」必ず説明する。そして、選手たちの「モチベーション」を高めるために「会話」を何よりも重視しているよ。

選手にスタンダードはない。スタンダードな選手なんてどこにもいない。そうであるなら、選手一人一人に違った接し方をするのが当たり前だ。私は一対一を大切にする。

オレグコーチは選手それぞれの個性を認識し、教え方を分けている。アグレッシブなスタイルの太田雄貴選手には、彼を持ち上げるような対応はほとんどしない。敢えて駄目な点をあげつらって怒鳴り散らし、太田選手の負けん気を増幅させているんだ。それとは逆に、リスクを嫌う千田健太選手には「アグレッシブになれ」「大丈夫だよ」と、後ろ盾になってやれるような言葉をかける。

「平等」や「差別」という観点から見れば、一見理不尽に思えるかもしれない。しかし、オレグコーチは普段から「近すぎる」ほどに選手たちとコミュニケーションを取っているんだ。信頼関係を築いた上でのコーチングなんだね。

しかし、この「近すぎる」コミュニケーションというのが厄介なものであることもオレグコーチは熟知している。オレグコーチは興奮すると、選手に顔をグイと近づけて早口のロシア語やとんちんかんな日本語でまくしたててしまうほどらしい……(゜o゜;

スポーツで結果を求めるためには質の良い練習をしなければならない。そのためには選手とコーチが深くコミュニケーションを取ることが必要不可欠になる。オレグコーチは男女どちらからもセックス面での相談を受けるほど、両者の間にタブーはないそうだよ。

あくまで「コーチの立場」として割り切ることは冷徹かもしれないけれど、そうしたスタンスを明確にすることで、選手たちが何でも話せるような環境をつくり出しているように感じる。「限りなく近いけれど友達ではない」距離感によって、隠し立てのない「会話」を実現しているんだな!

日本人は「スーパー・ナショナリスト」

こうして選手たちの個性を把握していったオレグコーチだけども、日本でコーチをするならばやはり日本人の性質を知らないといけない。実際に日本に来て仕事をはじめたオレグコーチは、フェンシングをする上での様々な欠点を指摘しているよ。

まず、才能があるにもかかわらず「外国人には勝てない」というコンプレックスが身体からにじみ出ていたこと。そこには「勝つ」意識の低さ、つまりメンタリティの問題にぶち当たったんだね。

試合で相手がケガをした途端に手加減をしてしまう「敵を許す」姿勢、「ちょっと」と言って物事をはっきりさせないニュアンス、規律や組織に縛られ命令を待つ「枠」という意識の強さ。「勝つ」意識を再び呼び覚まそうとした時、こうした日本人の特性は障壁となったようだね。

しかし、日本人の特性がオレグコーチを感心させることもたくさんあったんだ。まず、チームワークの強さ。日本は個人戦よりも団体戦で良い結果が生まれる。それをオレグコーチは「日本人は共通の目的があれば、個人的な野心を抑えてそれに向かっていくことができる」と分析しているね。なぜ日本人は自分を犠牲にできるのか。それは、日本人が「スーパー・ナショナリスト」だからだ、と表現し、以下のように説明しているよ。

(若い選手に対して)彼らは、外見的にはアイフォーン世代だし、ルイ・ヴィトンを持っているし、他の国の若者と何ら変わっていないが、それは“物”だけのこと。精神性、歴史性、個人と歴史との関係においては、独特なものが私には見える。本質的なところはそのまま残っている。彼らの子どもも、おそらく彼らと同じようになるだろう。

これは我々日本人にとって、意外な解釈なように思える。伝統文化の継承が危ぶまれ、「今どきの若者は……」とため息混じりに言われる現代の日本人に、民族的なアイデンティティをはっきりと見て取っているんだ。欧米の文化や製品が、これだけ我々の生活に影響を及ぼしているにもかかわらず!

ここで重要なのは、ウクライナ人であるオレグコーチが指摘している、という点だね。

ウクライナは最近ニュースでよく見るように、ロシアとの政治的対立が注目されている国。国内でもロシア寄りかどうか、といった政治的な思想から東西で国民の性質が分かれている。第二次世界大戦以降、国外からの攻撃を受け大勢の犠牲者を出しているだけに、ウクライナ人は自国への想いというのは強いのではないかな。実際に、ウクライナも団体戦は相対的に見て強いとオレグコーチも述べているね。

その「ウクライナ人」意識の強いオレグコーチが、日本をウクライナ以上の「スーパー・ナショナリスト」と表現するのには、日本人が見る日本人とは別の見方をしているのかもしれない。

またオレグコーチは、清潔さや規律正しさ、それに子どもを厳しくしつける日本の家庭についても賞賛している。近年はモンスターペアレント、虐待、しつけや教育など、様々な側面から日本の「家庭崩壊」が取りざたされているけれど、そのことを理解した上で、オレグコーチは日本の家庭のあり方を高く評価しているんだね。

これまでの書評でも見てきた通り「日本社会」は変質しているし、そこに住む日本人もその影響を受けている。そして、日本人自身もそれを深く自覚している。しかし、ウクライナ人であるオレグコーチから見ると、その民族性は不変のまま受け継がれている。何とも不思議なものだね。ふーむ!

それぞれが見つける「肯定的な意味」

スポーツにおける「会話」と、ウクライナから見た「日本人」というひきこもりと結びつきの強い2点から、本書について考察してみたよ。本来あるべき一対一の会話、そして自分たちが心の隅に追いやっていた日本人のポジティブな側面が、とても自然な姿で現れていたなー。

オレグコーチは、広く読者に向けてこんな風に締めているよ。

私は本書で、とりたてて自分のことを語りたかったわけではない。ただ、今回の私の事例、この一〇年余りの間に私の身に起こったことは、何かしら肯定的な意味を持つのではないか、とりわけ若い人にとっては何かの示唆になり得るのかもしれない-そう思ってペンを執った。苦労を怖がらなくていいんだ、冷静にリスクに対処すればいいんだ、忍耐・意志・勤勉が状況に打ち勝つ力を与えてくれるし、成功をもたらす。

背中を後押ししてくれる、とてもポジティブなアドバイスだね!

そして最後になったけれども、本書のタイトル「『奇跡』は準備されている」とはどういうことなのか?これは最初に紹介した男子団体のドイツ戦での「奇跡」のこと。残り1秒での戦いは事前に想定して練習しており、その積み重ねが発揮されたことを意味しているんだ。

本書はひきこもり状態に即効で作用する処方箋ではないかもしれない。それは「『奇跡』を準備する」過程とも似ているね。けれど、自分自身を肯定し、社会で気持ちよく生きるためのヒントがたくさん詰まっているように思ったよ!

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